先日、中国広州市で人類学者たちの論壇に参加した。米国、ベトナム、日本、台湾、香港、韓国から参加した人たちと論議し、調査も数日間行って有意義に過ごして帰宅した。広州では夏であったが、福岡空港からは春へ、さらに天気予報では荒れて台風のような風が吹いている日本へ、夏から早春へ逆戻りした。日本は人口が少なく、大気汚染も少なく、生活の質を深めることができる長所が大きいと思った。
中山大学での「東アジアの人類学と歴史学」の論壇には参加者全員が時間を守って、二日間最後まで姿勢を崩さず終了した。多くの中国人の真面目さを見て、「中国人は変わった」と肌で感じた。
二日目の午後のセクションで歴史学(桐本東太と西沢治彦)と人類学(伊藤亜人と崔吉城)による歴史学と人類学の関係に迫った発表と討論が行われた。歴史学と人類学の「歴史」はどのようなものであるか、その関係は と。部分的に対決したが、西沢氏と私の結論は全く同じであった。最後の懇親会では小生が乾杯の音頭をとらせていただいて、この集いに参加して大満足、末成氏の弟子の中山大学の麻国慶教授中心とした主催者側、参加者、通訳者、準備と参加した学生さんに感謝の言葉を述べた。
今回の論壇で度々話題になった東アジアに共通する系譜意識を知るために陳氏書院(陳家祠)を訪ねた。案内してくれたのは日本からの留学生の星野麗子さんたちだった。私の関心は何より祖先の位牌にあった。この陳家祠は1890~1894に当時の広州72県の陳姓の人々がお金を出しあって精巧な彫刻が施して、建立したものである。ここで陳氏一族子弟の教育も行った。この書院は韓国の書院と全く同じである。赤い階段式の陳氏の位牌は、六千余の位牌が上から下へ左から右、右から左への順に下がることを知った。
韓国での本貫、官名、個人名と号、公と府君、夫人は孺人(宜人)と神位など多少異なっても全体としては一致する。祭祀の時の位牌の配置図の「昭穆之序」(儒教式で最長位を中央にしてその東、西、東、西の順に世代が下がる順)も韓国の儒教祭祀と同様、韓国が中国の影響を大きく受けたことを物語る。韓国の文化もこのような中国の一地域にすぎないような中国の文化的影響が如何に強かったかを確かめたような印象であった。
市内で移動する時には普通タクシーを利用するが、それが難しい。遠くはだめとか、なかなか乗れない。中央分離線に立って両側のタクシーを必死に止めようとする。結局地下鉄や満員バス、ミニオートバイバスに乗って、コリアタウンと在来の市場を見た。「美食通り」を歩き人気のありそうな食堂の前で30分ほど外の道端で待ってようやく入り、広東の庶民料理を食べた。今回の旅の最高で最後の美食であった。やはり「食は広東にあり」であった。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。