在日の私達も世代を経て、一世や二世の苦労話が昔語りと受け止められがちな昨今だが、現代の日本にはまた新たに定住している外国人が増えていることを忘れてはいけない。
今年七月からは改定入管法が施行される。どんな運用がされるのか不安も多いが、管理する側はともかく私達の中では、中長期在留者、非正規滞在者・難民申請者、特別永住者などと分断線を引くのではなく、同じく日本に暮らす外国人として理解し合い、助け合いたい。そのために、一世二世の経験を思い出すことはこれからもきっと大切だ。
言葉をめぐってはもちろんたくさんの苦労があったと想像するが、残念ながら私の一世の祖母達はもういないし、元気だった頃にも、聞いてもなかなか苦労話はしてくれなかった。
ただ、少し上~同世代の二世達の体験というなら、よく聞いた話を思い出す。
「家の中では、スッカラ(スプーン)、ヘンジッペ(ふきん)など、当たり前のように朝鮮語の単語が飛び交っていて、子どもの時の自分はそれしか言葉を知らなかったし、それが日本語ではないということもわからなかった。でもそれを学校で使うと、周囲から笑われてひどく恥ずかしかった。」 こんな思いを、今また中国人やブラジル人や、いろいろな国から来た外国人の子ども達も経験しているのではないだろうか。
昔とは違って、「多文化共生教育」がなされ、それぞれの子どもが持つ文化的背景が尊重されていたらよいのだが、 自国語を恥ずかしいなどと、間違っても思うことがないように 、などと心配している。
ところで学生時代の私は、そんな話を聞いて、友人達は豊かな言葉の世界で育ったのだなぁと、逆に羨ましくも感じたものだ。私の育った家庭には祖父母もおらず、日本語だけの毎日。祖母には時々会ったが、「ハンメ」と呼ぶことすら知らず、「おばあちゃん」と呼んでいたのだ。でも、韓流ブームが起こり、私がNHKのハングル講座で勉強を再開してからのこと。一つうれしい発見があった。
それは「ポッポ」という言葉。つまり「チュウ」のことである。幼い日の私に、祖母は会うといつもほっぺたを差し出して「ここにポッポして」と言った。私は素直に「ポッ」した。父も毎日、寝る前には「はい、おやすみのポッ」と言ってほっぺにキスをさせていたっけ。もちろん私も、子どもを産んでからは子ども達にいっぱい「ポッポ」したし、してもらった。でもずっとそれが普通に日本語だと思っていたのだ。
ハングル講座の中で映画のワンシーンがあり、初めて「ポッポ」のことを知った。私にもこんな言葉があったんだ!そう言えば私達親子はよく「チュッチュポッポして。」という言い方もした。知らずに日本語とのコラボをしていたことになる。楽しい言葉の思い出だ。
カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。