『樺太・瑞穂村の悲劇』(東亜大学東アジア文化研究所推薦図書、花乱社)が届いた。1945年、樺太にソ連軍が侵入し、平和な日常生活を過ごしていた村は戦雲におおわれ危機感に包まれていた。その時、朝鮮人がソ連軍のスパイだという噂が広がり、それを聞いた軍国主義に染まった日本人青年達が半狂乱となり、ぞっとする事件を起こした。そして、ソ連軍によって判決を受けて処刑された事件が詳細にわかる本である。
1945年8月20日から25日までの間に子供たちを含む朝鮮人男女27人が日本人によって虐殺された事件に対する調査報告書に基づいて、ロシアの作家が書いたものをロシア研究の第一人者である文化人類学者井上紘一氏と在日同胞の徐満洙氏が共同で訳したものである。自分の本が出たように嬉しい。
私がサハリンを初めて訪ねたのは1999年、その時、そこでは戦後韓国に引揚の道が閉ざされていた韓国人が初めて永住帰還する準備の最中であった。いたるところで韓国に永住して大丈夫であろうか、離散家族になるのではないかなど、憂い、心配する人が多かった。日本政府から帰還補助金と韓国がマンションを建てて「故郷で死にたいという」夢がやっと実現することになった。
しかし半世紀ぶりの帰国は不安なことであった。特にサハリンに住んでいた韓国人の男性と結婚した日本人女性の心境は複雑であった。ある女性は結局、最終段階で韓国への帰還を放棄した。高齢者優先、カップルという条件を満たすために高齢者の結婚も行われていた。
私は2000年京畿道安山市の「故郷マウル」に帰着する状況を取材してNHK衛星テレビに紹介し、また日本語の『樺太朝鮮人の悲劇』(第一書房)と韓国語で『サハリン:流刑と棄民の土地』(民俗苑)を出した。私は帰国した彼らの追跡調査を続けた。
私は下関の東亜大学に赴任し、下関在住の徐満洙氏に会った。彼は1947年、下関市で生まれた在日二世。高校の時、朝鮮大学校でロシア語を学び,ボランティアで通訳も行っていた。ロシア語の通訳もできる人であるのに専門を生かせず左官などをしているという。
私は彼から日本人の差別を強く感じた。時々彼とロシア文学について談話することになり、彼に夢を与えてみたかった。ロシア人作家のカポネンコが書いたロシア語の本書の翻訳を勧めた。彼は昼労働し、夜翻訳して鉛筆やボールペンでノートに書いてきた。今、改めてこれを世の中に出版するのは事件の事実を知らせること、そしてそれ以上に重要な意味があると感じている。
この事件は古い、ある小さな村での事件ではあるが、実は今現在の問題であり、民族を多く抱えている多くの国民国家を考えると重要なメッセージが含まれている。危機や混乱期に狂乱状態を起こす暴力性、民族分裂の潜在性を示唆するものではないだろうか。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。