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2012/08/31

<随筆>◇復興屋台村・気仙沼横丁◇ マッカン・ジャパン 大西 憲一 代表

 「ギョーザ、お待たせ!」。威勢のいい中年女性の声が響く。熱々のギョーザを生ビールで流し込む。「うまーい!」。ここは宮城県気仙沼市の港町にある屋台風のラーメン屋「あたみ屋」。店主の大友さんはとにかく元気がいい。でも彼女には悲しい思い出がある。昨年3月11日の誕生日、突然の津波で34年間営業してきた店を全て失った。

 辛うじて命は助かったが、残された財産は最後の客から受け取った代金1500円のみ。途方に暮れていたが、昨年11月にオープンした「復興屋台村・気仙沼横丁」で再起を図ることになった。「あたみ屋は、あかるく、たのしく、みらいへ、という意味です。応援してくれる皆さんへの恩返しと感謝の思いで、笑顔で生きていきます」力強い言葉を聞かされた。

 全国有数の漁港・気仙沼市は東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた。飲食店は気仙沼市全体で70%、港の近くはほぼ100%が流出した。地盤も1㍍近く沈下した。復興はいつになるかわからない。「我々で気仙沼に以前の賑わいを取り戻そう!」地元の有志が立ち上がった。運営会社「復興屋台村」を設立し、路頭に迷っている飲食店や商店の人たちが体一つでも店を再開できるように、プレハブの集合屋台「気仙沼横丁」を港の近くにオープンした。マグロ料理店や居酒屋、ショットバーなど22の店が帰ってきた。日本各地から支援者が続々と訪れて、今や気仙沼の名物横丁だ。

 郷土料理店「海の家」は民宿と自宅を流された男三人の店。あの日、外出から慌てて自宅に戻ろうとしたAさんは避難する人波に押し戻された。自宅にいた両親と妹が犠牲になった。助けに行けなかった自分が今でも悔しくてならない。

 「津波ですべて流されたが、料理の腕は流されていない」。失意の男三人は逞しく立ち上がった。

 横丁で唯一の韓国料理「デジコンジュ・豚姫」は韓国女性のユ・ミラさんが日本のご主人と二人で経営している。一年前に待望の焼肉屋をオープンしたが全て流されてしまった。ユさんが食材調達で韓国に戻っていたときの悲劇だった。それでも愛する夫とともに再挑戦した。「遠くからわざわざ来ていただいて…」。開店後、初めて訪れた韓国人を前にして彼女は涙が止まらなかった。

 日韓合同による「漢方医療奉仕ミッション」は、復興屋台村の代表を務める若生さんの招待で実現した。韓国の著名な漢方医師や釜山在住の日本の有志の方々に交じって私も飛び入りで参加させて頂いた。鍼やお灸の漢方治療を受けた気仙沼横丁の皆さんは、最初はおっかなびっくりだったが「おかげでスッキリしました」と大好評でした。

 「私は韓国ドラマが大好き。韓国に行くのを目標に毎日頑張っているの」。あたみ屋の女将さん、早く韓国に行けるといいですね。みんなで気仙沼横丁を応援しましょう!


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月新・韓国日商岩井理事。09年10月より韓国TASETO専務理事。2011年9月よりマッカン・ジャパン代表。