私が09年2月27日に本欄に初めて書いたのがアメリカ「黒人大統領」であった。オバマ大統領は就任演説で「なぜあらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前には地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか」と語った。
そのオバマ大統領が再選のために9月7日、ノースカロライナで行った指名受諾演説を聞いて再度書かせていただきたい。「前進(Forward)」と書かれたピケットを持っている聴衆の前で先に登壇していたミシェル夫人に迎えられて夫オバマ氏が登壇した。彼は現職大統領でありながらも挑戦するように自身の政策と経済の再建を訴えた。特に安全保障分野では実績を強調した。しかし「簡単に実現できるものではない」「何年もかかるだろう」としながら「チェンジ(変化)」のキャッチフレーズを「前進」に変え、「後戻りはしない」と言った。夢を語るような名スピーチに歓声が上がった。演説の終わりには壇上に家族などが登壇してハグや握手が延々と披露された。映画のような舞台であった。
日本の内閣制選挙と比べるまでもなくアメリカの選挙は派手に感ずる。日本では大統領制になると政策選挙よりポピュリズム(人気主義)になりやすくなるなど、人気タレントや俳優などによる政治になるのではないかという懸念と憂いがある。しかしアメリカ大統領選挙はそればかりではない。ポピュリズムと同時に政治政策、人格、雄弁や外交、愛のパフォーマンスがある。選挙はマニフェストが全部ではない。理想的には品格、パフォーマンスなどにも強い人など影響力を持つ人格者を選ぶのであろう。
12月には韓国でも大統領選挙が行われる。私は韓国の民主化過程に生きてきた者として振り返ってその意味を考えてみたい。
韓国では大統領選挙はただ政権を選ぶというレベルをはるかに超えている。それは民主化運動の主軸的な原動力、民主化に最も重要な「政治的祭り」であったからである。
私の中学生時代に李承晩と対立候補の申翼熙氏が漢江の白い砂の浜辺で百万人の前で演説し、すごい人気であったが急病で死亡したことに私は絶望し、大学生時代には李大統領の長期執権に抗議するデモに参加した。学生デモによって政権が倒れて大混乱な時、私は民主化定着のために大学支援の民衆啓蒙隊にも参加した。
軍事クーデタが起きた。その日、私は東大門前の戦車と銃剣を持った軍人たちを見て失望し、唖然とした。大学は長く閉鎖された。軍事政権下の選挙では対立候補が勝つことはあり得なかったが、大統領選挙は民主主義の波を広げる唯一の希望であった。選挙は民主化の柱であり、韓国はそれを通して民主化と近代化が成し遂げられてきたのである。このもう一つの韓流が隣国、そしてアジアに広く広がることを期待する。