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2012/11/09

<随筆>◇時祭(シジェ)に想う◇ 呉 文子さん

 慶尚南道金海市に住んでいる夫の弟から、時祭の日取りが決まったとの連絡があった。夫の一周忌に執り行う埋葬式の件も兼ねての久しぶりの電話だったが、今年は参加を控えたいと伝えた。

 時祭は旧暦の10月15日前後に、五代以上の先祖を供養するために行われる門中祭祀をいうそうだ。近年になってからは親族が集まりやすい日を選ぶようになり、今年は閏年なのでいつもより遅い11月30日と決まったとのこと。

 毎年時祭には、息子たちを連れて夫と共に参加した。いつも私たちは前日の夜に釜山のホテルに泊まり、翌日の朝、李家の斎室(祭祀を執り行なう建物)に向かう。夫の弟の「嫁」たちは何日も前から供物を作る準備をし、当日は祭床(膳)からはみ出すほどの供物……新米で炊いたご飯や餅、果物、魚など20数種類もの料理が並べられる。

 李家の祭祀は11時近くに始まる。この日のために、遠くは香港やソウル、大邱(テグ)から親族が50人ほども集まる。夫は本家の長男なので祭主として儀式を執り行なわなければならない。

 「嫁」である私は、その儀式を眺めながら、どのように法や制度が変わろうとも、百年一日のごとく変貌をとげない祭祀の現場を目の当たりにして、伝統や慣習を改めることの難しさを痛感した。

 儀式が終わると供物をみんなでいただくのだが、これを飲福(ウンボッ)というそうだ。先祖への供養と感謝をこめて飲食するのだと聞いたことがある。年長者は年長者の膳、若者は若い者同士という風に長幼の序はしっかりと守られていたが、飲福は男女同席だった。

 時祭は、遠く離れて暮らす親族が互いの消息を分かち合い、絆を強めるまたとない機会ともなる。結婚したばかりの新婚夫婦から、結婚の報告を兼ねて韓国式の大礼(クンジョル)を受けたときには、在日の私でさえ長男の「嫁」を意識したものだった。韓国の家族制度の核は儒教倫理に基づく祖先祭祀を中心とした同族集団である。それは、男性の血統のみが優先される男系血縁家族を意味する。

 しかし家族法が改正されて父母両系主義に改まり、戸主制廃止により封建的な家族制度や家族のかたち、祭祀の形態も少しずつではあるが変容しつつある。時祭は例外としても、両親の命日や秋夕、正月などでは女性も男性と共に参加できるようになったのだから。

 生前夫は本家の長男として、長い間墓の造成に心を配ってきた。夫にとって墓は親族の絆を繋ぐための拠り所でもあったのだ。その甲斐あって陽当たりのよい山の中腹に芝を張ったマウンドが、高祖父から夫の代に至るまで整然と並んでいる。まるで公園墓地のようだ。

 それにしても今年の時祭はだれが祭主を務めるのだろう……、祭文の中に夫の名前も刻まれるのだろうか。来年の埋葬式での私のつとめは……、と韓国の習俗に不慣れな私は眠れぬ夜がつづく。


  オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(1991年~2005年まで代表)。現在在日女性文学誌「地に舟をこげ」編集委員。著書に「パンソリに思い秘めるとき」(学生社)など。