ここから本文です

2013/02/08

<随筆>◇朴 正煕先生と朴 槿惠大統領◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 朴正熙大統領といえば麦わら帽子を被って田植えをする農民大統領、セマウル大統領を想起するだろう。その娘の朴槿惠氏が大統領になることを歓迎しながら彼女の父親のことを考える。それは陰徳であり、日本語では「お陰様」によるものである。もう一方では負担の陰影でもある。陰陽は宇宙の調和の原理であり、大統領としての行使が期待される。

 私は李承晩大統領の長期執権に反対するデモに参加し、軍事クーデターにより民主化が中断され、失望していたが、陸軍士官学校の教官となった当時を回顧すると隔世の感がある。1960年代半ばのことだった。ある日、某大学生が走っている朴大統領の車に向って石を投げたことがあった。その時下車したサングラス姿の朴大統領が歩いて守衛に案内されながら学長に会って、「学生指導をきちんと正せよ」と注意してから、陸軍士官学校へ向った。学生の「査列」儀式のため、朴大統領は土曜日に時々、陸軍士官学校に来られていた。厳しい警備の中、私は近くで彼をお見かけしたこともがあった。一回だけ同じ査列台に同席したことがある。

 朴大統領に関する逸話がある。彼は師団長の時、時々食べに行った日本式のうどん屋のお婆さんを士官学校の食堂に呼び、働かせた。彼女は私に朴大統領が日本食を好むという話をしていた。私はその時、大統領はとても人情深い人だと感じた。今から20年ほど前の話である。時は変わり、植民地に関する資料を読む最中に突然朴大統領のことを思い出した。私が植民地研究上、気になったのがセマウル運動であった。私は宇垣一成朝鮮総督の農村振興運動下で聞慶国民学校が農村振興運動の「中堅人物」を養成する指定校であったことに目が留まり、もしかしたら当時の朴先生がその農村振興と関連があったのではと考えた。

 私はすぐ日本からソウルへ、バスに乗りその学校を訪ねて行った。そして聞慶小学校の朴正熙先生に学んだ金成煥たち三人の弟子にインタビューすることができた。私には「先生」というイメージが強く伝わってきた。彼らによると当時朴正熙先生は農村振興の指定学校聞慶更生農園と新北簡易学校更生農園において、姜光乙先生が40日間の出張期間に授業を担当したという。村の中堅人物を養成するという農村振興運動の目的で指導者養成の教育を担当したのである。

 セマウル運動は農村振興運動の「儀礼簡素化」「自力更生」「農村振興」「忠孝愛国」「自立自助」「勤倹」などの思想により、朴正熙大統領がセマウル運動を推進したものと確信するようになった。つまりセマウル運動は戦前の日本植民地政策の再演のようなものであったのである(参照拙著『「親日」と「反日」の文化人類学』明石書店)。いま私は朴槿惠大統領が朴正熙大統領のセマウル運動の「セ(新)」をもう一度高いレベルで再創造することを願う。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。