シェークスピアの名作「ベニスの商人」の主人公シャイロックはたしか肉屋の主人だった。肉屋だから肉を切る包丁が小道具になる。ところがその包丁の刃が丸くえん曲した肉切り包丁で、少年のころその絵をみて新鮮に感じた記憶がある。魚と野菜が中心の日本の食文化では、刃が丸くなった肉切り包丁はきわめて珍しいからだ。
ところが後年、韓国に留学に来て分かったのだが、韓国の家庭には刃が丸くなった包丁があった。韓国は魚文化ではなく肉文化なんだなあ、と感じ入った覚えがある。
肉文化といえば、留学の前に韓国で一ヶ月間、取材で滞在した時の記憶も面白い。ある家庭に一ヶ月間、居候したのだが、その家はアパートの三階で一階は市場になっていた。そのため下から立ち上ってくる臭いが肉を煮る臭いで、実にエキゾチックだった。今から考えると韓国ではスユク(熟肉)や肉のスープをよく食べるので、肉を煮る臭いはごく一般的だった。
以前、韓国の年寄りから聞いた話によると、ソウルで魚をたくさん食べるようになったのは一九六〇年代の朴正熙政権以降だという。韓国の政治はそれまで李承晩大統領をはじめ北出身者が結構、幅を利かしていた。このころは肉文化が中心だった。しかし朴政権時代になって南部の慶尚道出身者が幅を利かすようになり、魚文化が広がったというのだ。
政治の変化で食文化が変わるというのも面白い。もちろん魚文化については、時代の変化で冷蔵、冷凍、輸送技術が進み、ソウルなど内陸部で魚料理が広がったということもいえるが。近年も政権交代と食文化についてはよく面白おかしく語られてきた。たとえば金泳三大統領は南部の巨済島の出身で、いわし漁の網元が実家だったから、金泳三時代はミョルチ(カタクチいわし)だしのカルククス(麺)が人気を呼んだ。
その後、金大中大統領の時は、故郷である木浦の名物である、例のすごい臭いのホンオ(えい)の刺身が人気で、ソウルで需要が急増した。次の盧武鉉大統領時代は釜山名物のアナゴの刺身が人気になるといわれたが、そんなに広がらなかったように思う。
次の李明博大統領は浦項の出身で、 それまでそんなに有名ではなかった浦項名物のサンマの浜干しであるクァメギが、一気に需要増となった。地方区から全国区に昇格したようなものだ。
朴槿惠時代はどうだろう。お父さんは慶尚北道出身で本人も選挙区は大邱だが、ソウル生活が長いから郷土色はないかもしれない。そういえば好きな食べ物も話題にはなっていない。お酒は飲まないしグルメ(美食家)ともいいにくい。個人的な体験でいえば大邱ではさしたる食の記憶はない。このあたりで「政権交代と食文化」の話題も途切れるのだろうか。ちょっぴり寂しい気がする。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者、産経新聞ソウル支局長を経て、現在、ソウル駐在特別記者兼論説委員。