幸せな出会いがあった。二人の在日音楽家、ミン・ヨンチとハクエイ・キム。韓国伝統音楽とジャズとの邂逅。『新韓楽』のステージは、その激しくも華やかな瞬間だった。
ミン・ヨンチのチャンゴの舞台は以前にも観たことがある。その正確なリズムの流れ、佳境にさしかかると速くて見えなくなるほどのバチさばきには、今回もため息をつくばかり。素朴で深みのある音は、体の芯まで震わせて、眠っていた衝動を呼び覚ましてくれる。心を縛っていたものがほどけていく。
続いてシン・ヒョンシクによるアジェンの独奏。キム・ウンシクのチャンゴが伴奏する。アジェンとは、琴のような弦を弓でこすって音を出す楽器。その独特の音色が、大地の底から湧きあがってくるむせび泣きのように響く。じっと耳を傾けていると、初めて聴くのに、ずっと以前から知っていたような錯覚にとらわれ、むしろ懐かしい気持ちになった。
かわってハクエイ・キムらトライソニークによるジャズ演奏。―私にジャズなんてわかるかしら?でも若い日には、ジャズ喫茶に座ってぼんやりと過ごした時間もあったっけ。もの憂くて、せつない、それでいて土のにおいもする大人の音楽に憧れていたのだ。
トライソニークが披露してくれた二曲は、まだ題名もついていないという生まれたてのイキのいい曲たち。ハクエイ・キムのおしゃれな雰囲気そのままに、彼のピアノも、杉本智和のベース、大槻〝KALTA〟英宣のドラムも、エネルギーにあふれながら、都会的な透明感を感じさせてくれる。深い森の奥から音が立ち上ってくる・・・・しかしよく見るとそれはコンクリートと金属の森なのだ。都会の森の住人たちがもつ深い孤独と疲労とそれでも消せない情念を、三人の演奏はこれでもかと前面に押し出してくる。
そして韓国音楽とジャズのコラボレーション。おそるおそる互いの存在を確かめるように、でもすぐに何の遠慮もなくうち解け、じゃれあい、自己主張を始める。むき出しの音と音とが自由にぶつかりあう。沸き立つような音楽に身をゆだねていると、在日とか、音楽のジャンルとか、そんな枠組みは忘れてしまう。両者の出会いは偶然のようで、やはり必然だったのだろう。それぞれの音楽を尊敬しあい、喜びあっていることが伝わってきて、聴いている私達もうれしくなる。ところで私は、この文章もそうだけれど、いつも文を書く時には、心の中で渦巻く思いを言い表す言葉を探し求める。ぴたりとくる言葉に出会えると、よりどころのなかった感情がようやく像を結ぶような快感を得るのだ。だが、この音楽はどうだろう。混沌とした精神が、焦点を求めようともせず、そのまま、ありのままに音に映し出され、魂の叫びのままに表現されている。こんなことが言葉にもできるだろうか 。気がつくと私は、音楽に嫉妬していたのだった。
カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。