「桃の木の下に道が出来る」のは至極当然である。しかし、未踏の地に道が誕生するのはごくまれであり、未踏の地では羅針盤を失い迷路に陥りがちである。在日の河正雄氏を知ったのは、日、韓、「在日」の三者で浅川巧を主人公とした『道~白磁の人』映画製作に歩みだした頃であった。翌年、韓国を訪問する機会に恵まれ光州市立美術館を訪れた。所蔵している作品の多くは河氏が寄贈した。そこで出会った「在日」作家の作品は、正視するにはよほどの覚悟が求められる。
“叫ぶ”ことも許されない、光を失った闇、この闇を生み出した時代を絵筆とキャンパスに託した作品群。人の目に曝されるなど毛頭考えていない筆の動き。新しいジャンルと云うより歴史の証である。植民地時代の傷跡は、未だ軋むような音をたて世界各国で癒されることなく疼いている。浅川巧の生きた時代は、植民地支配の楔が心に打ちこまれた時代である。浅川巧自身、必然的に植民地支配の側の一人であり、一方支配する側の悍ましさに心が引き裂かれる日々であった。浅川巧の心の救いは、支配される庶民の日常雑器とそれを生み出した民族の魂に触れることであり、荒涼とした原野に緑を取り戻すことであった。
しかもその養苗は、その土地の固有種の復元であり、その信念は、“自然法に帰せ”の一言に尽きる。先進国と発展途上国、経済格差、核の有無等の対立が現代を混濁状態に追い込んでいる。浅川巧の歩んだ道こそが現在求められている。
清里銀河塾は河氏の私塾として2005年誕生した。この塾は日・韓の次代を担う若者が浅川巧生誕の地で学び、国際人としてどのように歩むのかを問う、次代に伝承する塾である。塾では歴史認識を前提に新たなパラダイムが議論された。韓国の学生は過去を教訓に未来志向を語り、日本の学生は、過去の事実に戸惑う傾向が垣間見えた。それは過去を疎んじてきた日本の弱さでもある。議論の後は新たな友情が芽生えていた。私は銀河塾の継続が日韓の新たな関係を構築する一つの道筋となるのではないかと06年から参加させていただいた。
参加しての私見を差し挟むならば、参加する日本側は平和主義者であり、日韓の齟齬に心を痛めてきた人々である。
一方、徴兵制のある韓国の学生は、日本の平和主義者を“嫌戦主義者”と思う節がある。敗戦直前の原爆投下等の被害意識が日本人の戦争への嫌悪とつながっている点を汲み取っている。韓国の学生が抱くこの感性は重要である。この平和主義=嫌戦主義から、国際社会の新たなパラダイムへ昇華するには、闇の中で叫びをも圧殺された歴史、その根源を掘り下げねばならない。
その銀河塾の再開が決定した。「浅川伯教・巧兄弟資料館」・「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」の協力も得た。再開に向けて準備を整えねばならない。多くの方々の力添えは欠かせない。再開に向けてご指導ご参加をお願いしたい。
おざわ・りゅういち 1940年4月3日山梨県生まれ。64年から山梨県高等学校教諭。04年映画『道~白磁の人』事務局長。現在、県立博物館協議会委員長。