韓国の民謡アリランがユネスコの無形文化遺産に登録されたことは、本紙でも報道された通りであり、おめでたいことである。
アリランは韓民族の代表的な民謡である。この歌は単純で、歌詞は「アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えて行く 私を捨てて行かれる方は 十里も行けずに足が痛む」であり、地方によって歌詞とメロディーが訛ったり変化したりしている。
「アリラン」とは掛け声のようなものであり、気分がいいときに自然に鼻や口から、漏れて出るメロディーの小節の掛け声か感嘆詞のようなものであろう。民謡には「アー」「アリ」「アリアリ」「スリスリ」などが多い。「アリラン峠」とは特定の地名ではない。
峠とは何だろう。村と村の境界を指すものであろう。特定なる地名とは思わない。昔話に出る地名のようなものであり、それは注目すべきではない。その峠を越えて去っていく恋人の姿を見て涙汲んで立っていることを想像してもよい、その別離の歌である。
私の故郷にも峠があり、そこに村神の長栍(チャンスン)がたっている。それを超えると異郷のような村と繋がる。伝統的には小さい村が小宇宙であり、全世界のようになっていた。その共同体は外のものとは異なっていても伝統文化は同様である。
アリランの歌は何処でも無限に聞ける。南北が分断されて国家が異なって、国歌が異なってもアリランは一つである。アリランは「民族の歌」として歌われている。
民謡には作詞者や作曲者たるものがいない。いないのではなく知らない。芸術界では個人の個性や創造の作品が高く評価されていわば名前をもつようになり、「有名」となる。
しかし歴史や伝統の中には個人の有名さをはるかに超えた多くの民芸、民画、民謡などがある。それらは個人を超えたもの、否、個人が集団や社会に埋没され超然となったものである。
アリランは韓民族に唄い継がれ、普遍性をもっている。
19世紀中国の東北地方へ、そして沿海州へ、サハリンへ、そして中央アジアへ、戦後アメリカなどへ移民や強制動員で故国を離れながらもアリランを唄い続けた。
世界に散らばっている流浪民や移民によって広がり、さらに他民族にも愛唄されるようになった。今は電波とネット上からグローバル化されている。
アイルランドやスコットランドの民謡も世界的に広く愛唱されている。その民謡から讃美歌に普及したが、後にアメリカから日本の教科書の唱歌へ、それが韓国へ愛国歌のように歌われ、韓国固有の民謡のように思われがちにもなっている。
アリランに国籍はない。皆が唄ってほしい。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。