先日、韓国慶尚北道亀尾市にある朴正熙元大統領の生家を訪ねた。
山の中の盆地、農村なのに「先端技術の都市」という看板が見え、その風景には相応しくないように感じた。ITやデジタルが主産業だと言う。
公団の家族が多く住んで地域の経済を支えていると言う。それは亀尾市が朴正熙に恩を大きく受けていることを意味する。朴大統領が自分の生まれ故郷に輸出公団の工業を誘致建設して農業と合わせて、今は40余万の都市に発展させた。「朴正熙路」や「セマウル路」などを過ぎて「朴正熙生家」へと車を走らせた。金尾山の麓にわらぶき家が視野に入った。風水地理的に英雄が出る「名堂」と言われている。
山間地域の山の麓の貧乏な農村で生まれ、師範学校を出て聞慶普通学校の先生となり、その後、軍へ入隊し、陸軍士官学校を卒業して満州軍の将校として解放を迎えた。
刑務所と釈放、クーデター、大統領になった彼の人生経路の略図を浮かんだ。農村出身の出世回路が分かりやすく展示されている。試験地獄から名門大学へ、高官への現在の出世回路とは異なる風水説である。
この真夏の暑さでも9時からの開館時間に2台の観光バスと20台弱の乗用車が駐車している。貸し切りバスや車は駐車場に多く留まっていても、館内には観覧者は少ない。私は真面目な観光客になったようで熱心に見て回った。電子芳名録に住所などを書き、大統領夫婦写真と並んで記念写真を撮った。
直径15㍍、高さ10㍍の円形のハイパードームの12分の映像スクリーンには椅子もないカーペットに座ったまま360度に広がる。映像による詳しい内容は判らなくてもただただ圧倒されて、偉大な人物だというイメージを受けた。
もちろんここにはクーデター、長期政権と人権弾圧、暗殺などは一切展示されていない。いわば人生の一部が強調されている。したがって総合的な資料館ではない。英雄館的なものである。
銅像へ向かって歩いた。遠くから現れる朴正熙氏は私のイメージとは非常にかけ離れた。小さい身長の軍人ではなく、長身の紳士が立っているではないか。背が伸びたのか、変身したのか、英雄化とはこういうものかと戸惑った。朴元大統領の悲劇性自体が英雄的であるのに、闇の部分は削られて変身した英雄からは感動を受けにくい。朴正熙氏の本場なのに、すべてを知ることが出来ないのは残念だった。
もっと資料が欲しかったが、資料販売店は整理中で閉店となっていた。朴正熙氏の映像資料や本は全くないと言うことだった。近くの本屋で、新著で帯に『娘を大統領にした朴正熙』という分厚い本を買うことが出来ただけであった。
亀尾から金海空港まで直行のリムジンバスに乗った。客は私一人であった。贅沢な旅行であって、きつい調査であった。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。