韓国では兄弟喧嘩を見て「喧嘩しながら育つ」といい、夫婦喧嘩は「刃物で水を切るようなものである」といい、「喧嘩」という言葉や諺を肯定的に表現する場合が多い。喧嘩は多いが、大体の喧嘩は口論であり、暴力になることはほぼない。暴力といっても鼻血ぐらいである。
私の友人の日本人の人類学者が数十年前韓国に訪ねて来た時、私は彼を大邱の西門市場へ案内したことがある。その時、市場を歩いて4件ほど口喧嘩を見かけた。喧嘩を見物する人も多かった。
私は気にならなかったが、彼は驚いた表情で「何人くらい死者が出たのか」と言ったので笑ってしまった。私から見て、日本ではじっと我慢して、静かに刃物で刺すような事件が多いと感じる。口論や喧嘩などで解決されるような問題での殺人が多いと感ずる。韓国人の喧嘩は日本の相撲のようなものである。私は日本の相撲を初めてみて笑ったことがある。塩をまき、前準備のような仕草、パフォーマンスがまさにショーだった。
私は日韓関係がギクシャクするのを兄弟喧嘩のように見ている。私は半世紀ほど日韓を往来して生きているが、戦前は別として、国交のない関係(今でも北朝鮮)時期を含めて最悪の関係が長く続いたが「冬のソナタ」以後友好関係が急進して最良好関係であった。現在はさまざまな問題、主に政治的に日韓関係がギクシャクしている。しかし両国の民衆レベルでは親善が進んでいて、今は政府やメディアの宣伝に一方的に振り回されることは少ない。私は今の関係が最悪の関係とは思わない。兄弟関係のように見ている。つまり喧嘩しながら親しくなると期待している。今のギクシャクは成熟していくプロセスであろう。
喧嘩は不満をぶつけ合って吐き出す機会でもある。そして和解して関係を直しアップグレードすることもある。小さい摩擦を心に溜めて恨み、縁を切るような日本的人間関係に喧嘩は少ない。それは平穏や平和ではない。
韓国側に言いたい。日本人が言わない不満を察知すべきである。日本に言いたい。韓国へ積極的にぶつけほしい。議論しても口論になっても良い。必ず和解を前提にしてほしい。日本人は和解が苦手であり、敵に回すことが多い。戦争、植民地、占領などで傷つけたアジアとの付き合いは和解しか方法がない。
在日に言いたい。彼らは兄弟喧嘩の仲裁者的な存在である。在日はマージナルやハーフではなく、ダブルだといわれているが、今はその役割があまりも弱い。むしろ日韓の両文化を遠ざけている人が多いのは残念である。私が主宰する韓国文化会には在日の参加が少ない。在日は植民地の負の遺産ではない。それから解放された二重文化者的存在として貴重である。民族主義によるアイデンティティーだけではなく、韓国文化を持ちながら日本文化へもっと溶け込むべきである。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。