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2013/10/18

<随筆>◇ドキュメンタリー映画監督に挑戦した私◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 私が文化人類学の講義でルーズベネディクトの『菊と刀』をテキストにして講義した時、下関市豊北町から通学している本山大智君が日中戦争の参戦者である小山正夫氏の話をしてくれた。後に彼は数回調査して映像をもって報告してくれたので、私は彼の調査を応援するために小山家を訪ねることとした。

 私が行くことを聞いた元KRYテレビ局のカメラマンの権藤博志氏と毎日新聞の記者の尾垣氏が我が夫婦と同行することになった。本山君の案内で2011年11月初めてインタビューすることができた。小山氏は97歳で元気であり、当時、叔父から送って貰ったカメラで撮った写真のアルバムを見せてくれた。戦時中ではあっても写真を撮ることができたし、現地のカメラ屋で現像して持ち帰ることができた。しかし戦後、進駐軍によって武装解除とともに写真も多く剥ぎ取られたという。アルバムには軍事戦略に関するものが剥ぎ取られた跡が残っている。

 私はそれから3年間数回調査を行い、写真とキャプション、日程記などを整理した。元の写真をコンピューターに取り込んで拡大、色の調整などによって135枚の日中戦争の写真を明確に見ることができた。そして最近それをもって訪ね、写真を壁に映し出しながら確認と説明を求める形で自由な談話をした。小山氏の夫人とも和気あいあいと話が展開されていた。

 私は現地調査では、自然な雰囲気の中で本音の話がでると考えている。従来の多くの戦争や植民地というテーマで証言を聞くと「悲しい、悲惨な」ことが語られ、聞く方も暗い表情で、時には訊問するように証言を聞くというような決まった形式であった。私と彼はいわばラポールつまり心理学的にいう信頼状況で写真を見ながら話し合った。

 私は多くの写真の中で特に2枚が気になった。一つは一人の女性の写真である。それについて彼は「彼女であり、夫婦になっていた」と話し、婦人は戸惑った表情をした。私は100歳を目の前にした人の自由な放談と理解した。もう一枚の写真は「慰安室」という表札のような看板が掛っている建物の前に二人の日本兵が立っているものであった。

 彼は「女と寝るところ」と語り、その場にいた人は皆驚いた。特に慰安室で同じ故郷の女性と出会った話は劇的な話であった。

 「慰安室」の存在は初めて分かった。公開して皆で考える資料としたく、ドキュメンタリー映画「文化人類学者の調査記録~小山上等兵が撮った日中戦争」(40分)を作った。証言をノーカットで流して視聴者自ら判断するようにした。「慰安室」は軍の外側にあった遊郭のような施設か、内部の軍の下部組織であったかは直接見て判断するよう願っている。日中戦争の初期に参戦した兵士が戦争と慰安を生々しく語るのを多くの人が見て考えることを期待する。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。