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2013/11/15

<随筆>◇在日九十年 ある女のつぶやき◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 萩市にポン酢・地ビール製造会社「柚子屋本店」を本名で営んでいる金優社長がいる。彼は在日2世、奥さんは韓国出身の方、子供たちが家族企業として盛業している。金氏は今塩作りに全力を注いでいる。金氏はなぜ在日同胞過疎地域である萩に定着しているのかと思っていた。彼が持って来られた原稿を読み始め、その疑問が解けた。今は下関市、豊田町の西市という山間村は、炭焼きとも関連があることを知った。

 彼は祖国への関心、特に伝統文化を身につける努力をしている。民謡、ジャンゴ、笛、パンソリ、踊りなどに関心が高い。彼の次男はソウル大学校大学院で声楽を専攻している。金氏の叔父は日本から朝鮮戦争に参戦して戦死した。家族は愛族、愛国の心が強い。彼と私は気が合うところが多い。その接点はパンソリであった。数年前にパンソリ探訪団を作って全羅南道パンソリ発祥地で鑑賞してきた。

 彼が90歳の母上が書かれたエッセー集『在日九十年ある在日女のつぶやき』の校正文を持ってこられた。母親の申福心氏が直接書いたものを息子の金氏が編集して、2014年2月28日の母親の誕生日に捧げたいと準備中のものであるという。私はそれを聞いて彼の親孝行に感動した。最終段階で私のコメントが欲しいということで、喜んで了解した。

 申福心氏は全羅南道麗水で生まれ日本へ創始改名し帝国日本人として育てられて、主に看護婦として働き、戦後には本名の在日として生きてきた人生を語っている。戦前の「在日日本人」から戦後の「在日朝鮮人」への変身の物語である。「警察署に勤務」というところに視線がいった。それは警察署に設置されていた特別高等警察課の協和会の「鮮人係」として朝鮮人同化のための仕事だったという。つまり警察署は彼女を日本人的な朝鮮人としてその職務をさせたのである。

 戦後の部分からは気が重くなった。長男の金優が日本人からチョウセンジンとして差別されながら生きるところ、民族と祖国にアイデンティティーを求め、韓国ではパンチョッパリと言われた。私はその度に心を痛め、隠れて反抗する過程は島崎藤村の『破戒』の主人公・丑松を思い浮かべた。就職差別を生きてきた彼の人生にはマイナス面だけではなかった。強く活きる力と民族愛、家族愛などの活力がある。90歳の母にとって彼女の過去は「もう過ぎたもの」である。以前には語れなかった記憶が削られて残った話を正直に語れる。その多くは恥ずかしさや怖さから解放されているからであろう。

 彼は遠くから来られてたった30分間話をしてその校正文を私に渡して帰って行った。なぜ恥をさらすようなものを書いたのであろうかと思われるかもしれない。私は知らなかった在日の差別をただ暴露したものとは思えない。あまり知られていなかった在日の生きてこられた厳しい道のりを理解するとともに生き方のパワーをいただいた。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。