同人誌『鳳仙花』が、27号をもって終刊した。創刊以来、筆者や読者を灯にして、変容する時代の流れに添いながら、ある時は逆らいながら女性たちの日常を刻んで四半世紀近くになる。
鳳仙花は、熱い日差しを浴びてしなだれても翌日には蘇り、はじけとんだ種はしっかりと大地に根を下ろし新たな芽を育み広がっていく逞しい花。私たちはこの花のようにと、誌名を『鳳仙花』とした。やがて全国に読者の拠点ができ、読者が筆者を、筆者が読者を、ロンド(輪舞)のように広がり繋がっていった。在日女性たちの力による初めての同人誌の誕生に、励ましの手紙やカンパも寄せられ、どれほど勇気を得、励まされたか知れない。
書棚に並んだ27冊の背文字を眺めていると、各号の目次までが浮かんできて、さまざまな想いが脳裏をかすめる。異国での差別や生活苦、儒教的な家庭風土のなかでの様々な桎梏に抗いながら戦前戦後を生き抜いたオモニたち、祖国の分断により二分化された在日社会に翻弄され苦悩する女たちのハンプリ(恨解き)が、誌面の多くを占め共感を呼び起こした。それらは生活体験に根差したものだけに暮らしの匂いがにじみ出ていて読者の胸に熱く訴えるものがあった。民族の息吹を伝える母体は男ではなく生活者である女であったのだ。
21号からは若い世代の趙栄順新編集長を主軸に副編集長の堀千穂子さんが加わり、後継誌として新たなスタートを切った。時あたかも韓流ブームの最中、今までとは違った新しい風をもたらした。韓国ドラマやK―POPなどに接する機会を得て、韓流にはまり込んだ日本のアジュンマたち、韓国人と結婚して生活習慣や文化の違いに戸惑いながらも、韓国社会に溶け込んでしっかり「在韓」している日本女性たちの生活も掲載されるようになり、誌面を通してボーダレス時代の到来を実感することとなった。
創刊当時を振り返れば「いま浦島」の感は否めない。もはや国籍は符号に等しく、悩み苦しみながら帰化や国際結婚を決意した時代は過去のもの、外套を脱ぐように軽やかに国籍を変え、国際結婚も当たり前の時代。押し寄せる時代の趨勢に流され風化の一途をたどって久しい。
だが、『鳳仙花』の創刊は民族への拘りから生まれたことをいま一度想起したい。在日コリアンとしてのエスニック・シンボルは様々だが、民族に背を向けることなく、民族的な生き方を模索しつつ日本社会で夢をかなえるため奮闘する女性たちがいることを忘れてはなるまい。たとえ一握りに過ぎなくとも、彼女たちの生きざまは在日の未来への希望であり灯でもある。そういった層の原稿を、『鳳仙花』に積み残したことへ少なからず悔いは残る。
しかしながら27冊の『鳳仙花』は、不充分とはいえ時代の証言集としての使命を経て、アーカイブの役割を果たしていることは確かである。
オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(1991年~2005年まで代表)。現在在日女性文学誌「地に舟をこげ」編集委員。著書に「パンソリに思い秘めるとき」(学生社)など。