私のエッセイ集『雀様が語る日本』が新典社から出版されることになった。時折書いたブログやフェイスブックの文章が愛読されるようになり、その中から日本に関するものを一冊にまとめた。
「雀様」とは多くの日本人から間違えられている「崔」の私である。この本はそのスズメの目を借りて日本を見詰めた鳥瞰である。中には日韓両国を褒めたり批判したりしている。固定化しているカメラ(私)から映り変わる日本のことに触れているが、私自身も変わっていることがわかる。
小さい失敗や成功が人の生き方を決めることがある。私は突発的に日本留学により人生が変わったと思うことがある。世間的にいうと「運命」であろう。韓国にそのまま住んでいたらより効果的な活躍ができて影響力をもったのではないかと言われることがよくある。私は特別な人生観を作り上げてきたのではないが、振り返ってみると戦前生まれ、戦後の混乱期、朝鮮戦争、日本留学、日韓を往来しながら韓国と日本の大学で教鞭をとりながら生きてきたことはある意味で特異と言えば特異かもしれない。
私が留学して最初に協力を求めたのは在日の方々であった。彼らは私を同胞として暖かく応対して、時々懐かしき故国と日本での他郷暮らしの辛さを語ってくれた。私は、彼らが歌い踊るのを見ながら他郷暮らしの寂しさに同情し悲しくなり、祖国を離れて住む彼らを私自身も含めて可哀想に思ったこともある。他郷暮らしの「懐かしさ」は愛情的心理現象でありながらも郷愁(ノスタルジア)はホームシックのような一種の病的現象でもあるという。しかし彼らの祖国愛は愛好や愛情として、それは「新しいもの」を産み出す原動力として肯定的にも評価できるものである。
韓民族は悲しい「恨」が多いといわれる。貧困と植民地により労働、動員などで近隣諸国へ多く流出した。戦後にまた戦争と独裁政権の下からアメリカなどへ移民が多かった。祖国を去って異国のさまざまな状況で挑戦した。中には成功物語を聞かせてくれるケースも多いが、失敗した人はもっと多いだろう。
私は自ら故国を離れて日本に住んでいて、在日とは異なっている。差別の体験も少なく日本人と積極的に付き合おうとしている。そして愛されることを願っている。人に愛されるのがいかに難しいか。それを知ったのは最近のことだが、この小さい本が愛読されることを希望する。
親しい友人の中に在日の人がいる。彼の両親はリヤカーに古新聞、ダンボール、古い鉄くずなどを集める仕事をしていたが、最近兄と一緒にゴミ処理業をしている。私は彼のゴミ処理車に乗って現場の家を訪ねたこともある。彼から粗大ゴミの処理など一緒にしてくれないかと言われ、嬉しかった。在日の生活史の一つとして環境衛生、清掃、再生産などの仕事が社会的にも注目される職業として認識した。私は彼らを通して在日 をより深く理解できるようになった。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。