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2014/02/28

<随筆>◇在日九十年、ある在日女のつぶやき◇ 海龍 朴 仙容 相談役

 いい本が出版された。著者は山口県萩市在住の在日韓国人一世、申福心さん。1924年8月、生後6カ月の時、母に連れられて、先着していた父の元に来日した。それからおよそ一世紀の歳月が流れた。今回の出版は「在日九十年・ある在日女のつぶやき」と題する本である。米寿の記念会に、彼女から数えて4世代、総勢18人の大家族が萩に集まった。その時、後進のために、と息子(長男)に促され、自分史の執筆を始めた。二年を経て完成、それが私の手元に届いた。よくある在日の本だろう、と気楽に読み始めたが、それがそうではない。飾り気の全くない素朴な口調(文体)が新鮮で、切々と訴えてくるものがある。特段目新しい内容ではないが、読み続けるにつれ、私の祖父母や両親の在日体験と重なって、目頭が熱くなる。

 「日本人として生まれ、いつの間にか、在日朝鮮人にされていた」、1952年、国籍が変更された話から始まる。日本籍を有していた頃、朝鮮出身者は半島人と区別され、協和会という団体に属し、会員手帳を持たされていた。寄付行為などの善行が、その手帳に記載され、生活に便宜が図られる、と暗に寄付を強要され、貧しい生活の中から、様々な負担を強いられた、と申ハルモニ(おばあちゃん)が今も悔しがる。

 21歳で結婚。下関の大坪刑務所の傍に居を構えた。古ぼけたトタン葺きのバラック家が建ち並ぶ、悪臭漂う朝鮮部落である。部落内の生活を事細かに綴って、当時の生活苦を語っている。戦後数年経ち、砥石工場を経営していた義父が全財産を処分して韓国に帰国した。新婚の二人は日本に置き去りにされた。一銭の金も二人に残していかなかった義父への、彼女の恨みは半端じゃない。その時の憤慨もあからさまに吐露している。

 夫には定職がない。誇り高い夫に相応しい仕事がなかった。彼女は実母と共にリヤカーを曳き、廃品回収で生計を立てた。過去を想い起こしながら、語る言葉から、在日女性の逞しい生命力を感じる。被差別体験を語るだけでなく、差別される原因にも触れて、在日の内面をも赤裸々にし、父親同様、職の定まらない息子(二世)の大阪暮らしに多くのページを割き、一世・二世の在日気質を分析している。朝鮮戦争(1950年)が勃発、在日社会も混乱するが、彼女は生きることに懸命だった。故国の窮状に無関心だった、と本国人(韓国)が在日を責めることがあるが、「喰うために必死やった。それがどうした、何が悪い!」とその批判を一蹴する。奇麗ごとを並べ、詭弁を弄することはない。唖然とし、戦慄が走った。下手な理屈をならべ、武装してきた自分が恥ずかしくなる。

 彼女は歴史の正誤を問題にしない。「こっちが正しい、おまえは間違ってるぞ。おまえはどっちの味方だ!」みたいな話は一切ない。在日女性の真価とその価値観がよくわかる。貴重な本である。


  パク・ソンヨン 1947年、福岡県北九州市生まれ。在日2世。拓殖大学卒業。2000年、韓国食品普及処「㈱海龍」創業。現在、海龍相談役。著書「親韓親日派宣言(亜紀書房)」。