Eさんに最後に会ったのは、一昨年、大阪で開かれた元の会社の広島支店のOB会だった。86歳とは思えないお元気さで、ユーモアたっぷりのスピーチも健在だった。
「大西君、あの本読んだけど面白うかったよ。あげな才能があったんやね」
そういえば、前回Eさんにお会いした時、韓国の話で盛り上がって、後で私の拙い韓国時代の随筆集をEさんにお送りしたのだった。
「今、韓流ドラマに凝っていて、毎日が楽しみなんよ」
「思わぬ展開があるけ、意外性がすごく面白いんよ」
「今度、韓国でOB会やったらどうやろかいのお」
久しぶりの広島弁が耳に心地よい。それに、Eさんのような長老の方が韓流ドラマの大ファンだと知って嬉しくなった。韓流ドラマは日本の津々浦々に浸透している。
私が広島に駐在したのは入社後すぐだから相当昔だが、当時、Eさんは広島支店傘下の呉出張所の幹部をされていた。呉市は「音戸の瀬戸」で有名な港町で、広島市のすぐ隣にある。いわゆる親分肌のEさんには大変お世話になった。まだ若造だった私には有能なベテラン商社マンのEさんが眩しかったものだ。
昨年のOB会に私は行けなかったが、Eさんは秋の親善旅行にも参加されて、すこぶるお元気だったとのこと。高齢にもかかわらず病気一つしないと自慢されていたのを想い出す。
Eさんには特技がある。書道の腕が玄人はだしなのだ。毎年の素敵な年賀状が楽しみだった。それに、地域活動にも熱心で、お住いの警固屋地区の歴史編纂のまとめ役をされていた。
そんなEさんの訃報を友人から聞いたのは昨年末だった。思わず耳を疑ったが、友人も“突然”ということ以外は知らされていなかった。Eさんあての年賀状はほかの賀状と一緒にすでに投函済みだった。
そして、思いがけず正月の休み明けにEさんから年賀状の返信をいただいた。賀状には昨年米寿を迎えられた喜びが満ち溢れ、黒々とした墨の達筆が踊っていた。ただ、いつもの賀状とは様子が違って、ご家族の封書に同封されていた。ご家族によれば、年末も近いある日、いつものように近くの公園の清掃を終えて帰宅された後、静かに旅立たれたとのこと。几帳面なEさんは年賀状を早々と準備済みで投函するばかりだったようだ。Eさんのお気持ちはご家族によって皆さんに届けられた。
Eさんからの年賀状に向かってそっと囁きかけた。
「これからはゆっくりと韓流ドラマを楽しんでつかあさい」
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月新・韓国日商岩井理事。09年10月より韓国TASETO専務理事。11年9月よりマッカン・ジャパン代表。