三十年以上、韓国料理を食ってきたなかでいまいち口に合わないのがドジョウ汁だ。ドジョウの漢字名が魚ヘンに秋という「チュ」なので「チュオタン」といっている。しかしドジョウをいったん湯がいてすりつぶし、野菜や唐辛子と煮込むというのが一般的なので、ドジョウの姿が残っていない。これだと何を食ったか分からないのだ。
もちろん姿を残す食べ方もあり、そのままテンプラというのも無くはないが、すりつぶしが一般的で、韓国人も「チュオタン」はそういうものと思っている。韓国では小魚料理というとこのスタイルが多い。先年、日本でいう「ムツゴロウ」を食わせる店がソウルにもあるというので出かけたが、これも原型をとどめない煮込みだった。「ムツゴロウ」は「チャントゥンオ」というが、日本ではあの愛嬌のある姿がウリになっている。アジュンマ(おばちゃん)に「原型がみたい!」と注文し、厨房から持ってきてもらってやっと安心(?)した。
筆者は渓流釣りをしているので、韓国の田舎の川でよく見かける風景に、浅瀬で水中の石や小岩をひっくり返し、網で小指のような小魚を捕っているというのがある。小魚は大魚のエサになるから、あれをやられると生態系が崩れる。釣り人にとっては実に迷惑なのだが、そうして捕った小魚も一種の田舎料理としてドジョウのようにすりつぶし煮て食べると、テレビの〝田舎便り〟でやっていた。元は貧しい時代の田舎のささやかな蛋白源だったのかもしれない。しかし飽食になった今でも川遊びの郷愁や余興、田舎暮らしの〝野趣〟としてよくやっているので釣り人には評判が悪い。
ところで先日、所用で日本の京都に行ってきた。その際、京都在住で本紙にも韓国経済論を執筆している林廣茂・元同志社大教授と気鋭の〝コリアノロジスト〟小倉紀蔵・京都大教授を呼び出し旧交を温めたのだが、一杯やろうと連れていかれた木屋町の居酒屋で〝小魚料理〟が出た。
店は老舗だったが日本によくあるごく大衆風の居酒屋で、カウンターだけで客10人が入れたかどうか。そのカウンターの端に水槽があって、体長五、六センチほどの小魚が泳いでいた。琵琶湖の「モロコ」に鴨川の「ハヤ」それに、これは養殖系だろうが「ヤマメ」の親戚である「アマゴ」の稚魚。これらを油で揚げて食わせるのだが、出てきた姿を見て驚いた。
小魚がまるで生きているように、体をくねらせたり、背ビレや尾ビレをピンと張っているのだ。姿、形を完全に残しているから何の魚かも分かる。「アマゴ」の美しい文様も確認できる。一皿に五、六尾だが、食べるのが惜しいほどだ。それでも〝いとおしく〟いただいたのだが、この料理の付加価値には驚嘆し感動した。これを韓国でもやれないのか。飽食時代のあらたな付加価値を求めて。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者、産経新聞ソウル支局長を経て、現在、ソウル駐在特別記者兼論説委員。