私は子供の時から遊戯が下手で、外へ出ないで家にこもりがちで親などは心配した。ソウルに転学してからは部屋で読書などをする時間がより多くなった。そんな私には趣味がないと思っていた。いわば男性の趣味といえばゴルフとか登山とかスポーツ系のものや、将棋、囲碁などであり、よく話題になるものである。私の趣味は生け花である。
韓国では男性は生け花などには手をつけるものではないという固い社会慣習がある。それでも私は生け花に関心を持つようになっていた。1960年代末、私が務めた事務室の前にあった「金貞順生け花教室」を覗いてみることがあって、しばしば自習して趣味とした。このことが女性文化への侵入か、男女別のある枠を犯しているかのようにも感じないこともなかったがやはり好きだった。
留学してから日本で生け花が盛んであることを知った。ある日、韓国からの留学生たちの研究会が山奥の施設で行われ、私も参加し、朝の散歩道で草花を切って朝の食堂のテーブルを飾って拍手を受けた時、私の趣味は生け花だと宣言した。生け花の美しさや楽しさを女性だけの世界にしておくのは、男性にとって「もったいない」感がする。それは幸せに関するものであるからである。男性も花を生け、生け花を鑑賞しながら幸せを積極的に共有すべきであると思う。
人間には花を美しく感じてきた長い歴史がある。屏風には花鳥が描かれたものが多い。花を描き、歌い、詩を吟味するなどの歴史を踏まえているから花が美の対象として視野に入る。しかし花はただの「屏風の中の花」ではない。その中身は食べた味や香りなどが含まれた懐かしさもある。今私が懐かしく思うアカシアの花は韓国では日本植民地の「悪カシア」といわれたが、私にとってはあくまでも「花は花である」。
ロシアの花屋を思い出す。そこでは24時間開店している。零下30度の冬でも花屋は深夜でも売っている。深夜でも恋人と会い、訪ねる時、花は必須のものであるからである。日本でも都会では花売り自動販売機もあるが、我が家の周りでは急に花が必要になっても時間帯によっては入手が難しい。以前、前日に花を購入できず、教会の庭に咲いている赤いバラと名前も知らない薄茶色の葉、そしてソテツの葉、金柑の枝を切ってきて生け、評判を得た。
朝の散歩に剪定鋏を持って行き、枝や雑草を観察し、切って持ってきて生けるのは楽しい。私には生け花の免許はない我流である。日本の流派でいえば池坊に近い。我が家には年中一本も花がないという時はないと言える。お客さんからは家内の技といわれることがあるが、私が生けたと言うと意外な表情をする。大学の学長から時々大学の行事に演壇を飾る生け花を依頼されることがある。喜んで主にキャンパスに咲いている花を使って季節感を出すようにしている。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。