末娘は高校生のときに韓国に行ったのをきっかけに、韓国に興味を持ち始めた。もっと小さいときにも連れて行ったのだが、そのときはまだ小学校の低学年で、何がなにやらよくわからなかったのだという。大学に入ってからは、ドラマを観たり音楽を聴いたりしながら、韓国語を勉強し始めた。勉強と言っても、私が少しずつ文字やら発音やら文法などを、そのつど少しずつ紙に書いて教えただけのことである。
それでもやはり若いということは素晴らしいこと。また「好きこそものの上手なれ」と言う通り、彼女自身の知りたい、学びたい、わかるようになりたいという思いが強かったおかげだろう。上達のスピードは速かった。2年前には夏休みを利用してソウル大の短期語学研修にも参加したが、3週間ほどのそのプログラムでは、初めてちゃんと教科書を使って勉強したのではないだろうか。でもそれも、新しいことを学んだというより、それまで私からばらばらに教わっていたことを整理できた、という感じだったのだという。
その後も彼女は、本を使う勉強はまったくしようとせず、ドラマを字幕なしで繰り返し観たり、韓国語の歌の歌詞を意味を調べながら覚えたり、覚えた歌をカラオケで歌ったり、また好きな歌手の韓国語でのツイッターをフォローしたり、私から見れば、異次元の(?)勉強法。私が若い頃にはそんな勉強法はしたくてもできなかったし、いやそもそもインターネットで韓国の情報が瞬時に入ってくるなんて想像もできなかった。
今では、LINEでのメッセージも、私とはハングルでやりとりすることができるし、私の知らない若者言葉を教えてくれたりなどもする。ドラマを観ながらシャドーウィング(韓国語の音声に、少し遅れてまねをし、発音しながらついていくこと)しているのを見ていると、私が聴き取れない早口の単語もちゃんと聴き取れているのでびっくりしてしまう。そういうわけで、最近は娘と韓国語について、また日本語と韓国語の似ているところや違っている点について、あれこれ話ができるようになり、それがなかなかに楽しい。
「韓国語って、『~してみる』って言うとき、日本語と同じで『~して見る(ポダ)』って言うのがおもしろいね。英語ならtry toを使うから、『見る』とは全然違うのに・・・・。」
「韓国語では、荷物をフックにかけるのも、電話をかけるのも、エンジンをかけるのも、ボタンをかけるのも、賭け事でかけるのも、全部同じ『かける(コルダ)』を使うっておもしろいね。これが英語ならそれぞれに違う言葉を使わないといけないのに 」
娘の話を聞きながら、私も学び始めの頃を思い出す。ひとつひとつ感動しながら学びを進める、そんな初心を大切にしたいものだ。
カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。