韓国・大邱からの絵はがきが私の心を動かした。韓国は大韓民国ではなく、大韓帝国の「韓国」である。おそらく1900年ころの絵はがきであろう。当時大邱から米光クリ氏が夫である米光長三郎氏へ送った絵はがきである。彼は山口市出身であり、当時千数百枚ほどの絵はがきを収集したコレクターである。
彼のお孫さんに当たる方から絵はがきを私の敬友の堀研画伯へ、そして堀画伯から東亜大学東アジア文化研究所に寄贈していただいた。100年ほど前の大邱の市街地、市場、公園などをはじめ韓半島の絵はがきが多く含まれている。まず、すべての絵はがきをスキャンして保存する作業をした。これは今、科研で研究中の植民地帝国の研究の一環としても興味のあるものである。絵はがきを分類し、絵を鑑賞して、山口県に絞って県民や市民に公開したいと思った。主に山口県の小野田、萩の吉田松陰、湯田温泉、長府の乃木宅、門司、着色写真などに関したものを編集し拡大印刷をしてみた。研究者や市民に公開して情報や意見を聞きたいと思い、早速下関市立美術館で展示室を確保しなければならなかった。
中に私が住んでいる下関で印刷したものが一枚あり、発行した会社を訪ねた。しかし応対した人は、会社にはその経緯がわかるような物は全くないとのことであった。そのはがきにもう一つ情報がある。沖の山炭鉱の坑内の写真が載っている。宇部炭鉱の中では一番早く1897年開業された炭鉱である。石炭記念館で年代を確認することができた。長府の乃木宅のあった乃木神社も訪ねながらチラシをもって市内を回った。1カ月余りで準備し、オープンした。新聞などの事前報道もなく、まったく予想がつかない無料の5日間の展示であった。
「絵はがきから見る近代山口」展の準備を前日に完了。初日、私は朝9時半に間に合わせてバスで行った。到着したらすでに会場にはNHKテレビ山口放送局の取材の方が待っておられた。それがオープニングであった。初日80余人、一人一人話をしたので喉が枯れてしまった。正午のNHKニュースを視て、山口市の湯田や防府から車を走らせてきた人もいた。ある女性は「私の祖父が集めたもの」とのこと。コレクターのお孫さん、ひ孫さんも来られ、貴重な出会いであった。
私と家内は市立美術館に出勤するように毎日会場にいた。湯田温泉の松田屋の息子さん、86歳、山口停車場の横に第二松田屋の前に立っている着物姿の女性が母、母を見ている子供が自分らしいと、自分が生活した部屋を指差して感激していた。同僚や家内の友人までご協力いただいて5日間の展示会を終えた。来場者総計572人、盛況だった。
私と家内が別々、個別あるいはグループ毎に説明したりお話を聞かせていただいたり、市民たちとの交流の場になった。会場には常に笑い声があった。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。