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2014/09/19

<随筆>◇祇園祭と朝鮮通信使◇ 康 玲子さん

 千年以上の歴史を持つ祗園祭。言わずと知れた京都の夏の風物詩だが、今年は後祭の復活や、大船鉾の再建などもあり、ひときわ話題となった。でも私ときたら、京都に居ながら日常生活の忙しさに紛れて、つい行きそびれたまま。そんなある日、たまたまNHKで、祗園祭、特に山鉾の懸装品の謎について詳しくレポートする番組を見た。

 武士の時代に、京都の豪商たちが、武家以上の豊かな財力を持っていたということ。それによって、タペストリーや絨毯など、世界の一級品が遠く中央アジアや、イスラム諸国、ヨーロッパなどからももたらされ、山や鉾を彩っているということ。だから祗園祭は町中を練り歩く美術展とも言えるのだということ。なるほど、そうだったのか。来年こそは心して祗園祭を観に行きたい!そんな気にさせられた。そして思い出したことがあった。

 もう十年以上前になるが、京都で朝鮮通信使の展覧会があり、観覧するとともに、朝鮮通信使研究で著名な仲尾宏先生の講演をお聞きしたことがあったのだ。

 今も忘れられないのが、朝鮮通信使の行列が京都の街を進む様子を描いた、数点の洛中洛外図屏風。絢爛豪華な金雲が配された画面に、盛装して輿に乗り、馬に乗り、あるいは旗などを掲げ歩んで進む人の様子が生き生きと描かれている。沿道の家々はみな建具を取り払い、居並ぶ人々が身を乗り出すようにして見物をしている。朝鮮からの人々と日本の人たち、服装や髪型も明らかに違っていて、異文化交流の楽しさが伝わってくる。

 中でも白眉として紹介されたのが洛中洛外図屏風・今井町本だ。これは六曲一双の屏風で、右隻には祗園祭の山鉾巡行が、左隻には朝鮮通信使の一行が描かれているのだという。これには驚いた。当時の京の人々にとって、朝鮮通信使と祗園祭は、左右に並べて釣り合う、一大絵巻だったということになるではないか。

 平屋ばかりで高い建物がない時代、町中を通る祗園祭の山や鉾はとてつもなく大きくて、昔の人々はその威容に感じ入ったのだという。同様に、外国からの情報が貴重だった時代、異文化そのものの生身の人間が目の前を通る朝鮮通信使の行列は、人々の好奇心や海外への憧れを大いに刺激したに違いない。

 このときに出展されていたのは通信使の左隻だけだったが、私は、ぜひ両隻を揃えて拝見したいものだと思った。

 今の時代、日本で祗園祭を知らない人はいないだろうが、朝鮮通信使についてはどうだろう。歴史の教科書にも載り、仲尾先生はじめ、素人にもわかりやすく紹介してくださるお働きも多いが、外交が冷え込んでいることもあり、関心が低いように見えて残念だ。でもそんなときだからこそ、日本の伝統文化を大切にしつつ、同時に隣国との友好関係の歴史をも大切にしてほしいと思う。そう、屏風を左右に並べて飾るように。


  カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。