ソウルから郵便が届いた。『監獄からの思索』の著者の申栄福氏からのものである。彼は陸軍士官学校の教官をした元同僚である。当時彼は淑明女子大学の講師から、私は高校の教師から陸軍士官学校の教官となった。訓練期間中や教官の時、軍務と社会奉仕活動を一緒にした。先日ソウルで聖公会大学を訪ねた時、思い出し連絡をしたが不通、名刺を置いて帰国した。
数日後に彼からの手紙とサイン入りの彼の著書『講義』が送られてきた。それは論語など中国の古典を以て思索している内容である。彼が同じ監房で4年間一緒にいた漢文学者との暮らしに基づいて書いたものであるが、つねに監獄からの話が基になっている。
申氏は1941年慶尚南道で生まれた。父親は大邱師範を卒業して慶尚北道で簡易学校の校長であった。彼がソウル大学に入学したのは私と同じで1959年、4・19の学生革命と5・16の軍事クーデターを目撃した。大学院を卒業して淑明女子大で講師をしながら『青脈』という雑誌の研究会に参加していた。これが後ほど統一革命党傘下の民族解放戦線と発表されたものである。陸軍士官学校教官で現役将校身分だった申氏が統一革命党首謀者の政治思想犯として軍事裁判では死刑が宣告されたが、裁判所が情状を考慮して1968年に無期懲役となった。死刑囚であった時は無期になっただけでも良かったと思ったが死刑より絶望的であったという。
収監中、常に考え思索し、両親と兄弟に書簡を送った。それが『監獄からの思索』である。個人の危機、恨みとは縁のないような世俗社会の存在に根本的な疑問を投げている。監房の窓から見たネズミ、タンポポの花、列車の汽笛など如何にも平然と社会が動いていることを書いた文を私はいまだに忘れられない。届いた本は読み進むのが懐かしく、辛く、悲しく、虚しくなる。彼の刑務所での青春、中年時代までの冤罪というか、その恨みや欝憤を全国民と共に代わって払ってあげたい気分で愛読されている。このような有能な人材を刑務所に入れた国家権力の矛盾は土をたたきながら慟哭すべきであろう。今、彼の罪を信ずる国民は一人もいないだろう。釈放されてからは聖公会大学の特任教授をして教鞭をとり、今に至っている。
彼自身の人生は刑務所によって潰されたわけではない。監房の中を宇宙にして色々な人との出会い、偉大な思索をして、まるで世俗から離れた聖なる空間で悟ったような偉大な人になったのである。私は多くの流配島と呼ばれる島でインタビューをしたことを思い出す。大逆罪などで島流しされた祖先を罪人と思う子孫は一人もいない。大逆罪で処刑された数々のケースをみて裁判制度とはいかに正しくないかを痛感する。裁判制度とは社会秩序を守るためであっても正義を守るには十分ではない。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。