韓日合作映画『ザ・テノール 真実の物語』を観た。アジア史上最高のテノールと称された韓国人オペラ歌手ベー・チェチョル氏と、氏の歌声に魅了された日本人プロデューサー輪嶋東太郎氏との国境を越えた友情を描いた実話である。
ベー・チェチョル氏は漢陽大学校声楽科を卒業後、イタリアに留学しヴェルディー音楽院で学ぶ。欧州各地のコンクールで入賞し、テノールのリリコ・スピント(輝かしく強靱な声)の持ち主と称賛され、実力が高く評価されていた。
主役に抜擢されヨーロッパで旺盛に活躍をしていた2005年、突然甲状腺がんの宣告を受けるという悲劇に見舞われる。手術を受けるが、摘出手術の際、声帯と横隔膜の両方の神経が切断され、歌手として最も過酷な歌声を失う。その上、右肺の機能まで失い、歌声に必要な3つの神経全てを失ってしまう。
この状況を憂慮した輪嶋氏の奮闘と尽力により、声帯機能回復手術の第一人者である京都大学の一色信彦名誉教授の存在を知り、氏の執刀による甲状軟骨形成手術を受ける。術後、声帯機能回復に向け厳しいリハビリに取り組むが、なかなか元の声にはもどらず、もがき苦しみ生きる望みを失って呻吟する。苦しみのたうちまわる氏を、輪嶋氏の献身的な励ましと支えによって、過酷な試練を乗り越え、ついに信じられないような奇跡をまき起こし舞台復帰を果たすまでが感動的に描かれている。
もう一つの魅力は、劇中ベー・チェチョル氏の歌声が、氏の全盛期の歌声で吹き替えられていて、テノールのリリコ・スピントの魅力を存分に堪能できること。なかでも悲嘆にくれる場面での「オセロ」のアリアは圧巻で、映画館にいることを忘れ、スタンディングオべーションしたくなるほど魂を揺さぶられる。また復帰後に感謝と祈りをこめて歌う「アメージング・グレース」のシーンでは、信仰をもたない私でさえ、敬虔な祈りを捧げたくなるほど深い感銘をうけた。ユ・ジテ氏の迫真の演技と美しいオペラの名曲に、まるでシネマ・オペラを観ているような錯覚さえ覚える。
音楽を通して出会った2人が、国境を越えて強い絆と信頼を育んでいく愛と友情を軸に、厳しい試練を乗り越え、奇跡の舞台復帰を実現させる勇気と感動の物語である。韓日関係がぎくしゃくしているいま、政治的な緊張関係を解きほぐしていけるのは、こういう映画や音楽を通して理解し合い、「きみとぼく」「あなたとわたし」が、国籍、民族を越えて繋がっていくことではないだろうか。
随分古い話で恐縮だが、あるコンサート終了終のパーティー会場で、オペラ普及活動をしていた岸田今日子さん、富士真奈美さん、吉行和子さんの3人と輪嶋東太郎氏にお会いしたことがある。その時の印象も素敵だったが、この映画を観て、ますます輪嶋東太郎氏の熱烈なファンになってしまった。ブラボー!!
オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(91年~05年まで代表)。「地に舟をこげ」編集委員(1012年終刊)。「異文化を愉しむ会」代表。著書に「パンソリに想い秘めるとき」(学生社)など。