日本の水戸黄門や忠臣蔵を知らない韓国人が多いように、韓国の「春香伝」を知らない日本人は多い。韓国最高の古典名作小説「春香伝」とパンソリ名唱・申在孝の劇本による「春香歌」が、韓国では数多く映画化されている。すでに日本でも『烈女春香守節歌』が岩波文庫より、申在孝によるパンソリを筆録した「春香歌」が平凡社で刊行されている。
「春香歌」は口承されて来たものが小説化され、19世紀に申在孝によりパンソリとして脚色され、広く演じられるようになったものである。儒教的な貞節を強調する時代に、身分の高い両班の李夢龍と卑賤民の妓生の娘、成春香が出会い恋愛をする。そして別離、再会まで貞操を守るための苦難の話である。
先日私が担当した「楽しい韓国文化論」で映画『春香伝』(林権澤監督)を鑑賞した。後年、夢龍は暗行御史として南原に潜入した。この映画のクライマックスは春香が夢龍に再会した瞬間、気を失うことである。私がこの場面でシャットダウンした時、拍手が出た。
私は二つのことが気になった。一つは映画がパンソリで進行されているので、パンソリに抵抗があるのではないかということと、もう一つは朝鮮時代の恋愛を語るのに、裸のラブシーンは高齢者に抵抗がないかと。儒教社会の貞操を強調するのとは対照的にラブシーンが露骨的に表現された「サランガ(愛の歌)」は意外であろう。セックスをモラルで抑えることは根本的に無理であることを意味する。
春香伝は終始パンソリで進行し、日本人にはなじみが薄いのではないかと心配したが意外に受けがよかった。パンソリは日本の浪曲(浪花節)とも通じ合うところがあり理解できたという。パンソリは歌のチャン(唱)、語りであるアニリおよびノルムセ(身振り)で構成されている。さらに太鼓をたたく鼓手のチュイムセによって雰囲気が調和する。浪曲でも三味線で伴奏しながら語り、歌(節)と語り演じる。
もともと民間に口伝された伝説が小説やパンソリ化されたものがある。今でも韓国では地方を歩くとき「烈女碑」や「烈女門」に出会うことがあるだろう。それは未婚死者の怨念の祟りを恐れて立てられた民間信仰によるものである。その多くは未婚女子の死の怨念を慰めるために行政と長が建てたという。この小説の舞台となっている南原では今でも美女・春香の位牌と美女画が祀られている。「春香伝」はそれに因んだ恋の物語りである。
「春香伝」のテーマのもう一つは、朝鮮王朝時代に王朝の官吏の腐敗や行政に対し、民衆が反抗意識を持っていたということである。これだけではなく仮面劇などでも両班を愚弄したり、寺坊主の腐敗を指摘したりしている。巫俗信仰では朝鮮王朝の始祖李成桂に殺された崔瑩将軍が祀られている。韓国人は古くから民主化意識をもっていたのかもしれない。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。