ある週刊誌に私は「売春婦村出身の大学教授」と紹介されたことがある。38度線に近い村で生まれ、韓国戦争で村が満身創痍、むごい戦場だった私の故郷の村である。当時12歳の少年だった私はそこで中国軍、国連軍、韓国軍、人民軍が入れ変わる戦争の最中で辛い経験の記憶がいっぱいある。しかし戦争は苦労だけではなかったことも事実である。
ソ連機と米軍機の空中戦で火を噴く景観は、少年の私には
つづきは本紙へ
2020/08/21
ある週刊誌に私は「売春婦村出身の大学教授」と紹介されたことがある。38度線に近い村で生まれ、韓国戦争で村が満身創痍、むごい戦場だった私の故郷の村である。当時12歳の少年だった私はそこで中国軍、国連軍、韓国軍、人民軍が入れ変わる戦争の最中で辛い経験の記憶がいっぱいある。しかし戦争は苦労だけではなかったことも事実である。
ソ連機と米軍機の空中戦で火を噴く景観は、少年の私には
つづきは本紙へ