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2021/06/18

<随筆>◇「6.25」戦争からのメッセージ◇  広島大学 崔 吉城 名誉教授

 「6.25」とは1950年の韓国戦争の記念日である。北朝鮮の韓国への侵入が生々しく、毎年私の痛い傷に触れる日だ。日曜日の朝、かわら屋根の上を飛んでいく爆音が、今でも耳に残っている。北から南に向かい、続いて難民たちが叫びながら南へと向かった。私もその避難民たちに連れられて南の方へと歩いた。

 私は韓国38度線近くの貧しい村で生まれ、血の海と化す歳月、幼い私の体験には、北朝鮮の南侵に大きな恨みがある。40日間の避難から帰宅し、人民軍時代を迎え、金日成将軍歌を歌った。国連軍のソウル奪還、そして我が村は再び中国支援軍が駐屯、米軍の駐屯と続く中、休戦から今に至る長い歳月が流れている。

 韓半島全土を戦場とする韓国戦争を私は体で覚えている。国連軍(米軍中心)、中国の支援軍が参戦し、我が村には北朝鮮軍、米軍、中国軍、韓国軍が相次いで進駐した。韓国の国軍の存在は、休戦になるまで意識することはなかったが、勇士たちが多く現れ、国軍の勇猛な戦闘を歌う「赤いマフラー」などには違和感があった。当時、私は国軍の存在感を全く知らなかったからである。愛国勇士は、戦後に生まれた。

 驚くべきことは、代表的な研究論文に北朝鮮の南侵ではなく、韓国の北朝鮮侵入説が多い。それには疑問である。私の戦争体験が水の泡になったようにがっかりした。しかし韓国戦争の多くの研究者たちは短編的な資料を集めそのような結論を出している。私は常に疑問を持って読んだ。私の家の大棟を越えて砲丸が南へ飛んでいくのを見た体験が黙殺された気分だった。


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