いま本を執筆中であるが、母のことを語らなければならない。それは私のごく個人的なことだが敢えて書きたい。母は黄氏、父より一つ年上だった。父は10歳で11歳の母と結婚した。私の母の父親は日本の侵略に抵抗し、義兵軍を指揮していたので、日本軍から逃れながら暮らしており、娘(私の母)を早く嫁がせたという。母はその時、名前も、誕生日も記憶せず、そのまま、一生涯誕生日を知らずに生きた。
母が私を産んだのは41歳。私は11人目の末っ子として生まれたが、姉と私が生存しただけで他の9人の子どもは乳幼児に死亡した。したがって、私に対する期待は大きく、私は親だけではなく、村人の関心の的でもあった。私が泣くたびに村人たちもあやしたり、なだめてくれたりしたことを今でも覚えている。
父はいつの間にか商売を始め、その後は牛商を始め、お金を貯めた。タバコは吸っていたが酒は飲まなかった。勤勉なイメージで多くの村人に尊敬されていた。父は商売にはどうやら成功したようだが、子供には恵まれないとあきらめながらも、息子の成長に気を使っていた。母は熱心なシャーマニズム信者であった。行きつけのシャーマンに儀礼を依頼し、とにかく私のために祈る母の姿は忘れられない。
私はそんな田舎からソウル大学に入った。大学では二人の恩師に出会った。
つづきは本紙へ