金東里の小説『巫女図』(1936年)の主人公の毛火はシャーマンであり、息子ウギはクリスチャンである。毛火は食べ物を前に必ず目を閉じて祈る息子の姿は受け入れがたい。信者たちが正気で大声で祈り「アーメン」と同意することを不思議に思う。一方、息子は母の毛火が偶像を崇拝し、霊魂と交流したと見なし、それは治療すべきだと考える。息子は「天地万物を創造された神」への信仰心で、聖書を読みながら祈る。ウギは母の毛火に「邪鬼が憑いた」「鬼神よ退け」と叫んだ。著者の私はウギのような立場である。
私はシャーマニズム信仰の中で生まれた。学校に通い、母のシャーマニズム(巫俗)信仰を迷信と思うようになった。国文学科に入り、それが迷信ではなく韓国文化の精髄として研究を始めた。私のシャーマニズム研究は、日本植民地研究へさかのぼった。そしてシャーマニズムの研究者になり、日本研究者に変身し、韓日関係にも触れるようになった。
巫俗を研究した私がキリスト教信者になった。シャーマニズムとキリスト教は相反する関係に考えられているが、その矛盾が私自身に起きたのである。迷信からキリスト教へ。これについて拙著ではその事情をありのまま書いた。以上のことは、ごく私事のようなことであるが、実はそうでもない。韓国の宗教文化と深い関係がある。個人レベルを超えてキリスト教の土着化の現象と相通じる。つまりシャーマニズムがキリスト教へどんな影響を与えたのか。どうして韓国がクリスチャン大国となったのか。
私はシャーマニズム研究者として韓国の戦後史を眺めながら書いた。私はシャーマニズムを避けてキリスト教会へ行ったのに、皮肉にもまたそこでシャーマニズムに出会ったような感じがした。つまりシャーマニズムから遠ざかるつもりだったのに、教会の中でシャーマニズムに再び出会ったのである。迷信だと思ったシャーマニズムがキリスト教の中で活力になっているではないか。今でも考えると不思議でならない。
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