幼い頃、近所の悪餓鬼らに「チョーセン人!」と見下されていた。中学になると、罵声はおさまるが、陰口は叩かれる。高校時代は好きな相撲の稽古にあけくれた。相撲が強くなると、自分の秀でた部分を知ることができ、生きる自信につながった。それからは臆することなく、出自を明かし、友達と普通に交流ができた。それで生まれたのが「親韓・親日スタイル(外観)」だった。
稽古の基本は腰を割ったすり足。土にくい込むくらい、親指(足)に力をいれ、砂の交じる土俵を動き回る。指の裏がすれ、靴が苦痛になり、下駄履きが多くなる。親指を大げさに包帯で巻き、下駄通学、堂々と校門をくぐる。生活指導部の服装チェックも、相撲部員の下駄はお咎めなし。足の裏が強化され、傷はなくなるが、包帯巻きの通学は続けた。
大学時代、文化祭などのイベントでは、着流しに下駄、校内だけではなく、繁華街をうろついていた。
40代のソウル時代、民族衣装(韓服)が気に入り、よく着用した。だが、韓服に靴がぎこちない。それで下駄を履いた。本国では下駄の評判が悪い。豚の足を想起させ、チョッパリとやゆされる。
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