活況が続いていた韓国株式市場は25日、総合株価指数(KOSPI)がついに2000ポイント台へと突入した。1980年1月に総合株価指数が100で出発して27年、さらに遡れば56年3月に韓国証券市場が開場して51年ぶりの2000ポイント突破だ。05年2月末に1000を突破してから2000を超えるまでにわずか2年5カ月しかかからなかった。
25日のソウル株式市場は、ニューヨーク株式市場の急落に嫌気し、前日終値より0・1ポイント低い1992・16ポイントで取引を開始、直後に1962・16ポイントまで急落する不安な展開を見せた。しかし、その後は持ち直し、午後にかけて2000ポイント超えに向けじわじわと値を上げた。
格付け機関の米ムーディーズ・インベスターズ・サービスが韓国の信用格付けを引き上げたことを好感して買い注文が相次ぎ、一時は2011ポイントを記録するなど好調な推移を見せた。大引けに向けてやや勢いを失ったものの、最終的に終値ベースで初の2000ポイント超えとなる2004・22ポイントで同日の取引を終えた。
株価2000突破の原動力は、豊富な流動性の存在だ。低金利が続く中、投資先を求めて、特に不動産に投資魅力を失った市中資金が大挙証券市場に殺到し、株価を押し上げたと分析されている。特に、証券市場で繰り広げられた売り買いの攻防で、外国人投資家の売りに対して個人投資家の買いが対抗するという興味深い構図が鮮明になった。これは、積み立て型ファンドに代表される間接投資の株式型ファンドの隆盛にある。同ファンドは04年末の8兆5000億ウォンから昨年末には46兆ウォン、今月20日には70兆ウォンを突破した。
では、果たして韓国株は2000ポイントの大台を超え、どこまで上昇するのだろうか。
韓国10大証券会社のリサーチセンター長(株価の分析・展望を担当する最高責任者)によると、「到達可能な指数の最高点」は、今後3年内に2500-3500まで上昇するという。最も楽観的なメリッツ証券は年内2450まで上昇すると展望した。
その根拠として①年金・退職金などの大口資金が今後株式市場に流入する②海外でも先進国入りする際は資金が銀行から株式に移動する③世界景気はもちろん国内景気と企業収益が底を打った④老後に備えた財テクの主な需要層であるベビーブームの40代の人口構成比が高まっている点などを挙げている。
総合株価指数が初めて1000を突破した1989年3月末から2000を突破するまで18年余。この間に株価の主役も大変動した。時価総額基準トップ100銘柄のうち銀行、総合金融、建設など20余の銘柄が上場廃止などで清算された。IT(情報通信)、造船、機械、流通などが主役の座にとって代わった。トップ10の銘柄中、現在も10以内に残っているのはポスコ、サムスン電子、現代自動車の3銘柄しかない。
現在の時価総額基準トップ3は、サムスン電子(95兆4490億ウォン)、ポスコ(49兆3470億ウォン)、韓国電力(30兆6020億ウォン)。89年当時のトップ3はポスコ、第一銀行、ソウル銀行の順。時価総額は、当時と比べ20倍、30倍に増えている。
韓国市場に現在の総合株価指数が導入された83年以降、韓国市場は約22年間、株価指数が100から1000の間を行ったり来たりしていた。87年を前後して三低好況とソウルオリンピックへの期待などから指数は急激に上昇し、牛を売り田畑を売って得た資金が株式市場に流れ込み始めた。
97年末には通貨危機に見舞われ、89年3月末に1000を突破した指数は98年6月には280にまで下がった。わずか1年足らずの期間で韓国市場の価値は3分の1にまで減少した。
一方、IMFショックからの立ち直りの過程で、外国人の株式購入制限を撤廃し、90年末に韓国市場は外国人の力を体験することになる。ファンドが流行し始めたのもこの時期だった。1日に1兆ウォン以上が集まるファンド資金と全世界で起こったITバブルは、99年7月に再び株価を1000以上へと引き上げた。