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2010/07/09

<総合>韓国経済支えた大動脈・記念式典開き歴史的意義再考

  • 韓国経済支えた大動脈・記念式典開き歴史的意義再考①

    韓国の高度成長を支えた京釜高速道路

  • 韓国経済支えた大動脈・記念式典開き歴史的意義再考②

    京釜高速道路開通40周年記念式のもよう

 全長428キロに達するソウルと釜山を結ぶ京釜高速道路が7日、全区間開通から40周年を迎えた。「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長実現に貢献した韓国の大動脈だ。国土海洋部と韓国道路公社はこの日、ソウル教育文化会館で記念式典を開催。鄭雲燦(チョン・ウンチャン)・国務総理、鄭鍾煥(チョン・ジョンファン)・国土海洋部長官をはじめ道路・建設関係者1200人が出席し、京釜高速道路の開通が持つ歴史的な意味を改めて考えるとともに、韓国経済の再跳躍を誓った。

 あいさつに立った鄭総理は、京釜高速道路を日本と中国を結ぶ「アジアン・ハイウエー」の中心軸に育成すべきとの考えを示した。また、「世界が気候変動という大きな挑戦に直面するなか、政府は道路交通分野で新たなグリーン成長をめざしており、道路建設と運営が低炭素グリーン成長の模範となるよう支援を強化する」と強調した。

 京釜高速道路は着工当時、国家資本や施工能力からして建設はほぼ不可能だとみられていた。鄭総理は、「政府は政界、メディア、国民の反対にもかかわらず、現実と妥協せず、30年、50年後の未来を見据えて不可能を可能にした」と強調。「やればできる」という自信感と強い意志、祖国の未来を見つめる眼力を持つべきという教訓を与えてくれたと述べた。

 式典に続き、京釜高速道路40年を記念する写真展示会や道路政策と技術発展について話し合う政策討論会、技術セミナー、建設関連の国際会議など、多様な行事が開かれた。

 京釜高速道路は、1970年7月7日、大田~大邱区間の開通で、全区間が開通した。ソウルから釜山まで車で15時間以上かかったのが5時間台に短縮された。これにより、物流が円滑化し、軽工業中心から鉄鋼、石油化学、自動車へ、産業構造の改編が加速した。

 また、全国を1日で往復できるようになり、地域間の情報や文化などさまざまな交流を可能にし、国民の生活の質向上に貢献した。


◆視 点◆

 40年前の京釜高速道路開通式で、朴正熙大統領は、「血と汗と意思の結晶で不可能を可能にした。京釜高速道路は近代化のシンボル的な道路であり、南北統一に直結する道だ」と力説した。

 1968年春に着工、わずか2年余で完成させたのは驚異的なスピードであり、当時はアジア最長の高速道路だった。

 韓国の一人当たり国民所得は142㌦(67年)にすぎず、工事費429億7300万ウォンは67年当時の国家予算の23・6%を占める。国道及び地方道路の舗装率は66年末で5・6%に過ぎず、自動車の登録台数はたったの5万台だった。

 こうした状況で全長400㌔を超す高速道路の建設は想像すらできないことだったが、当時の為政者の産業化にかける決意は固かった。韓国戦争の廃墟から立ち上がり、国民に希望を与える必要もあった。

 67年4月、再選をめざし大統領選挙に立候補した朴大統領が選挙公約に「京釜高速道路建設」を掲げた。その3年前の64年に西独を訪問した朴大統領は、戦後ドイツの経済復興とアウトバーンの関係からヒントを得たとされる。社会間接資本を拡充し、輸出指向型の工業中心の産業構造に転換するには、円滑な物流が欠かせない。高速道路がなければ生産物を作っても港に輸送するまでに時間がかかりすぎる。尻込みする人々を叱咤し、「やればできる」を実証した。

 その後、高速道路の建設が相次ぎ、全国土に構想道路網が張り巡らされた。その経済効果は、年間139兆ウォンに(国土研究院)達するという試算まである。自動車登録台数は昨年末現在で1732万台に増え、京釜高速道路通行車両は1日当たり331万台に達する。開通当時の336倍だ。

 70年代から本格化する産業近代化へ決定的な役割を果たした。