先ごろ亡くなった鄭周永・前現代グループ名誉会長のホームページ「鄭周永サイバー博物館」(chungjuyung.pe.kr/)は、博物館の名前を付けるにふさわしい充実した内容だ。
開いてみると、まず最初に鄭氏の顔写真とともに、「韓国経済発展と南北経済交流に貢献した」と悼むページが現れる。このほか、60年代初めの海外進出や高速道路建設など、鄭氏が手がけた事業を写真で見ることができる。
「私の一生は大げさにいえば、不可能を可能にした記録の連続だった」と自叙伝で述懐しているように、鄭氏の85年の生涯はドラマチックだ。一介のコメ屋から出発し、わずか50余年で「現代」という王国を築くことができたのは、逆境に打ち勝つ精神力、常に新しいものを生み出す創造力、徹底した合理主義などを鄭氏が備えていたからだろう。
「試練はあっても失敗はない」と豪語していた鄭氏が、唯一失敗したのが政界進出だ。92年に大統領選に出馬して金泳三氏に敗れた。これがきっかけで金泳三政権とは対立し、苦汁を味わった。
北朝鮮出身ということもあって、鄭氏は晩年、北朝鮮との経済交流を積極的に進めた。金剛山観光事業などを進めることで、南北対話拡大のきっかけをつくったことは評価される。
がむしゃらに見える鄭氏でも、人一倍健康には気を配ったという。「腹の足しにはならない」としてたばこは吸わず、自宅から歩いて出勤した。こうして培った頑強な体があったからこそ、亡くなる直前までグループのトップに君臨できたのだろう。
サイバー博物館で見られるように、鄭氏が一代で創り上げた「現代王国」の歴史は、「漢江の奇跡」とダブっている。だが、その王国はいま核分裂を起こしている。これが新たな発展の陣痛になるのか。鄭氏も草葉の陰で見守っているだろう。(T)