ベルリン五輪マラソン(1936年)の金メダリストで、民族の英雄といわれた孫基禎さんが15日、90歳で亡くなった。
当時の五輪最高記録となる2時間29分19秒で優勝した孫さんは、民族の誇りを胸に秘め続けた人であった。
試合前の練習では、日章旗を見せるのが嫌で黒いトレーニングウエアをはおった。優勝してあるドイツ人にサインを頼まれると、ハングルでソン・キジョンと書いたあとに英語のコリアと韓半島のイラストを添えたりと、民族魂を行動で示した。
日の丸が上がるのを見て表彰台で悲しそうな顔をした。これを見て韓国紙(東亜日報)が胸の日の丸を消した写真を掲載し、朝鮮総督府から発行停止処分を受けた。
孫さんは優勝後の記者会見で、「肉体というものは意思と精神によって不可能を可能にする」と述べた。植民地下の韓国人に民族魂を燃えさせ、大きな勇気を与えた。
92年のバルセロナ五輪で黄永祚選手が二位の日本選手をおさえて一位でテープを切った時、スタンドで声援中の孫さんは立ち上がって喜び「これで死んでもよい」と叫んだ話は有名だ。
太極旗を胸に走れなかったことを、つらい思い出として一生持ち続けるとともに、韓日の若い世代が国境を超えて仲良く歩みだす日を待ち望んだ人でもあった。
そんな孫さんにとって、韓日両国が世界的イベントであるサッカーのワールドカップを共催して成功させ、両国民が真の友好に向けて新たな第一歩を踏み出した2002年は、どのように映ったことだろうか。きっと、韓日のより良き未来に確信を持っての大往生だったろう。(L)