きょう6日は、ヒロシマの「原爆忌」。この日が来ると、「ちちをかえせ ははをかえせ にんげんをかえせ」(峠三吉)という叫びが蘇る。きょうが何の日か答えられない日本の若者が増えていると聞くが、多くの犠牲者を出した人類の悲劇を風化させてはならないと思う。
韓国人にとっても、きょうは忘れられない日だ。植民地下で多くの韓国人が原爆の犠牲になった。いまなお、原爆症に苦しむ在韓被爆者は多い。その中の一人で、被爆者援護法に基づく健康管理手当ての支給を求めて、訴訟を起こしていた崔ギチョル(78)が先月25日に釜山の病院で亡くなった。
崔さんは、19歳の時に長崎で被爆し、帰国後、80年に来日して被爆者健康手帳を受けた。日本に滞在中は手当てが支給されたが、しかし、韓国に帰ると、被爆者が健康管理手当てとして受け取れる月額3万3900円の支給が打ち切られてしまった。このため、これを不服として長崎市を相手取り裁判を起こし、9月28日に判決が出る予定だった。本人は勝訴を確信していたという。判決を聞かずに逝ってしまい、さぞ無念であったろう。
厚生労働省によると、被爆者健康手帳の交付を受け、援護法によって手当てを受給している人は27万3918人(国籍統計なし)におよぶ。海外に居住する被爆者は約5000人と推計されており、韓国には約2200人いるといわれている。しかし、被爆したことを家族や周囲に隠している人も多く、実際の数はもっと多いとみられる。大韓赤十字社が今年3月、被爆者に名乗り出るよう広告を出したところ、新たに50人が見つかったという。
何の補償も受けられず、後遺症に苦しむ在韓被爆者の救済は、急務といえよう。戦後60年近く経ち、なお戦後補償の問題は、韓日間のトゲになっている。一刻も早く、トゲを抜き去ることは、日本の大きな課題である。(G)