アテネオリンピックの開幕まで1カ月を切った。近代五輪を提唱したクーベルンタン男爵は「参加することに意義がある」とうたっているが、メダル争いはやはり大きな関心事だ。
ところで韓国が公表している金メダル総獲得数56は、IOC(オリンピック委員会)発表の数字55と1つ違っている。日本植民地時代の36年ベルリンオリンピック男子マラソンで優勝した孫基禎さんが、公式発表では日本選手になっているが、韓国は自国の選手として計算しているからだ。孫さんは強い民族意識を持ちつつも、日本人選手として出場しなければならなかった。
立場は違うが在日の選手も両国の狭間にいた。
64年の東京オリンピック、天理大学に在籍していた男子柔道中量級の金義泰選手は、韓国代表として出場、見事銅メダルを獲得した。これは韓国柔道界初のメダルでもあった。その後も72年ミュンヘンで呉勝立選手が韓国選手団唯一のメダルとなる銀を獲得し、当時の朴正熙大統領からスポーツ国民勲章を授与されている。
日本国籍を取得して日本代表の道を選んだ選手もいた。代表例は、女子バレーボールのエースとしてミュンヘン、モントリオールで金メダルを獲得した白井貴子選手である。白井選手は当初、韓国代表としての出場を打診されて韓国を訪れてみたが、言葉や習慣になじめないこともあって、日本代表を目指して日本国籍を取得した。
このような例は現在も続いている。前回のシドニーでは、女子バレーの森山淳子、新体操団体の中田真美選手が日本国籍を取得して日本代表を目指し、柔道男子無差別級の姜義啓選手は韓国代表を目指した。いずれも在日3世で、中田真美選手がシドニー行きを果たしている。
今回のアテネオリンピックでは、残念ながら在日選手の出場はないと聞くが、韓日の間で様々な活躍をした在日スポーツ選手の存在を忘れないでおきたいものだ。(L)