先日、済州島に行って来た。成田から直行便で2時間半。ひと眠りする暇もない。島の中央には、守り神のように標高1950㍍の漢拏山がどっかりと鎮座し、その裾にはたわわに実ったミカン畑が広がり、緑と黄金色が実に美しい。
済州島といえば、「三多」(風、石、女)で有名だが、もうひとつ、これにミカンが加わる。
道端にはミカンを山と積んだ露天が並び、アジュンマ(おばさん)の声が響く。「味見してください」。差し出されたミカンは赤ん坊の拳のように小粒で、見るからに貧相だが、皮が薄く、実が詰まっており、房を口に含むと甘くておいしい。思わず買ったら、2000ウオン(約200円)で30個もくれた。北アフリカのモロッコあたりの不毛の地で栽培されているマンダリンにどこか似ている。済州島も大地が溶岩流で覆われ、地味はやせている。
アジュンマによると、済州島でミカン栽培が始まったのは1960年代で、歴史は浅い。当初は、済州道民会など在日が和歌山や静岡の苗木を送り、栽培を支援したが、土壌に合わず失敗、土地の検査に取り組むなど苦労を重ねた末、ようやく九州の苗木が根付き、今日のような全島ミカン畑が誕生したという。
本土では気候のせいでミカンが育たない。そのため、ミカンは飛ぶように売れ、「ミカン長者」が続出した。ミカンの木が1本あれば、子どもを大学まであげることができるといわれたほどだった。ところが、新たな難題が持ち上がった。「韓日FTAで日本からミカンが入ってきたらひとたまりもない」とアジュンマは顔を曇らせる。
漢拏山にはミカンがよく似合う。この美しい光景が消えないことを祈って、済州を後にした。(G)