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2005/10/21

<鳳仙花> ◆「キューポラのある街」今昔◆

 作家の早船ちよさんが8日、神奈川県湯河原町の病院で老衰のため死去した。91歳だった。早船ちよさんといえば思い出されるのが、1961年に発表した児童小説「キューポラのある街」だ。鋳物工場の町・埼玉県川口市を舞台に、貧しいながらも元気に生きる主人公の石黒ジュンと弟のタカユキの姿を生き生きと描いた作品で、日本児童文学者協会賞を受賞している。

 「キューポラ」とは、鋳物をつくるために鉄を溶かす溶銑炉のことで、鋳物工場から飛び出た煙突が、あちこちで煙をたなびかせているのが、川口市の象徴といわれた。

 小説の大きなテーマは貧困と民族差別問題である。ジュンとタカユキの姉弟には在日の金山ヨシエとサンキチという友人がいた。当時の川口には工場労働者として働く在日韓国人が多かったが、差別感情の強かった時代で、在日の生活は厳しく、日本人との交流も少なかった。

 差別意識に加え、在日青年が日本の女子高校生を殺害した小松川事件(58年)が起きた直後の小説発表だった。

 日本文学に在日が登場することはタブー同然であった時代、早船さんは児童文学を通して、在日と日本人との友情を描いたのである。

 同作品は翌年、浦山桐郎監督によって映画化され大ヒットする。浦山監督は播磨造船所のあった兵庫県相生市育ちで、同地にキューポラがあったこと、在日の友人がいたなどの思い出があり、やはり映画界でタブー視されていた在日問題に挑んだという。

 学芸会で「朝鮮ニンジン」と罵声を浴びせる生徒たちに、ジュンが怒りを示すシーンは、いまも忘れられない。

 それから半世紀近くが経ち、舞台の川口市は大きく変貌した。鋳物の町は東京のベッドタウンとなり、キューポラではなくマンションが乱立している。在日密集地といえる地域もすでになくなったが、日本人と在日韓国人の共生を願った早船さんの願いは、今も多くの人の胸に生きている。(L)