靖国神社の片隅に置かれた石碑「北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)」。高さ187㌢、横幅66㌢、厚さ13㌢。その存在に注目する人はほとんどいない。
1591年、豊臣秀吉の朝鮮侵略で、加藤清正軍に中国国境に近い咸境道まで攻め込まれたが、鄭文孚(チョンムンブ)将軍率いる義勇軍の活躍がこれを押しとどめた。この戦勝をたたえたもので、韓民族にとっては貴重な歴史的遺物である。
この石碑が100年ぶりに韓国に返還される可能性が出てきた。先頃京都で行われた韓日外相会談で、年内をめどに返還する方向で話し合いが進んだという。ぜひ実現してほしいものだ。
碑には「朝鮮国咸境道壬辰義兵大捷碑」の文字が刻まれている。すなわち、朝鮮の咸境道において、秀吉の朝鮮侵略の際に民衆が立ち上がり義勇軍を組織、ついに豊臣軍を撃退したことを記念して建立された碑であることが分かる。「大捷」とは「大勝」の意味で、刻まれた1500字の漢字の碑文には、地元の義士たちが勇敢に戦った姿が誇らしげに書かれてある。
その石碑がなぜ東京・九段の靖国神社にあるのだろうか。実はそれまで公にされることがなかったが、27年前に韓国研究院長の崔書勉・国際韓国研究員理事長によってその経緯が明らかになった。
日露戦争で勝利した日本軍の池田正介少将が、韓半島に日本軍を倒したことをたたえる石碑があってはけしからんと、戦利品として持ち帰ったとされる。当初は皇居内に陳列される予定だったともいわれる。この間、韓国側は石碑の返還を何度も求めてきたが、やっと日本側は応じる姿勢を見せた。
歴史に関わる遺物はやはり元にあったところに返すべきだろう。日帝植民地時代に日本が持ち帰った幾多の文化財返還問題など、戦後60年経っても清算されていないことはまだまだたくさんある。これから将来にわたり、ぜひとも解決していく努力が肝要だと思う。(O)