「世紀の舞姫」と呼ばれた崔承喜の波瀾にみちた生涯と、舞踊芸術をたどった映画「伝説の舞姫―崔承喜」(藤原智子監督)を見た。彼女の娘、安聖姫さんと同級生だった大宮小学校卒業生らが発起人となっての上映で、会場のセシオン杉並は800人を超え立ち見が出る超満員だった。
写真などで崔承喜の姿、形は見たことがあるが、実際の映像で見るのはこれが初めて。印象は強烈だった。その踊る身体のうごき、微笑みかける美貌の虜になってしまった。舞踊に興味のない人でも魅入られてしまうと思った。1944年、帝国劇場を20日間満員にさせ、ノーベル文学賞受賞者で厳しい審美眼の川端康成ら当時の文化人が絶賛したのが分かる気がする。
崔承喜は1911年、当時日本の植民地統治下にあったソウルで生まれ、日本の前衛的舞踊家としてすでに世界の舞台を踏んでいた石井貘に入門。朝鮮の民族的舞踊とモダンダンスをミックスさせ、日本だけでなく欧米各国で公演、ピカソ、スタインベック、コクトーらも驚嘆させたという世界の舞姫として大活躍した。日本画壇で著名な安井曾太郎、小磯良平、梅原龍三郎、東郷青児らが崔承喜を競って描いた。
だが、祖国が解放された戦後、韓国に戻った彼女は親日派とされ、活動しにくくなった。その後、北朝鮮に渡り第一線で活躍したが、夫が粛清の対象になり、60年代半ば以降、消息がわからないままだ。もし、生きていたら94歳になる。娘の聖姫さんも舞踊家として檜舞台に立ったが、同じように行方知れずだ。
聖姫さんの同級生で、作曲家の小林亜星さんは映画上映に先立ち、「尊敬、憧れの対象だった」と振り返ったが、崔承喜の内面世界にもっと踏み込んだ映画を作れないかとの衝動にかられた。芸術は民族、国籍を超えて人間の魂を揺さぶるものだ。彼女の生きた時代の葛藤と芸術の普遍性は第一級の小説のテーマでもある。(S)