街は空爆を受けて瓦解したように一面の焼け野原と化し、地獄絵図が広がっていた。在日韓国人の密集地域、神戸市長田区。変わり果てた姿に、言葉を失い茫然自失となった阪神・淡路大震災から10年が経った。
死者6433人。取材先でみた倒壊した家屋や壊れた青磁の壺、散乱したセットンカラーの座布団など、痛々しい光景がいまも瞼に焼き付いている。130人もの犠牲者を出し、主力産業のケミカルシューズが大打撃を受けた在日社会も筆舌に尽くせぬ辛酸をなめた。
震災直後に脳裏をよぎったのは、関東大震災時の朝鮮人虐殺のような民族差別や迫害が起きるのではないかという不安だった。ところが、長田の神楽小学校など避難所を訪れてみると、在日と日本人が肩を寄せ合い、互いに食糧を分け合い、助け合っていた。
韓国民団や朝鮮総連から連日救援物資が届けられ、在日と日本人のボランティアが協力して被災者の支援に飛び回っていた。避難所で振る舞われた韓国風雑煮「トック」を仲良くほおばる在日と日本人の姿は忘れられない。
この阪神大震災をきっかけに、初めて在日と日本人の垣根が取り払われたような気がした。長田区の避難所で韓国料理の炊き出しなどの活動を行ったコリアボランティア協会(大阪市生野区、康秀峰代表)は、その後も福祉活動に取り組み、在日と日本人の区別なく、被災者の支援や高齢者慰問などの活動を続けている。
神戸定住外国人支援センター(金宣吉代表、神戸市長田区)も、阪神大震災での支援経験をもとに、多言語の生活相談、障害者支援、在日高齢者向け食事会などを実施している。活動には、在日と日本人だけでなく、在日外国人も加わっており、「共生社会」のあり方を示唆している。この助け合い、共生の精神が、いつまでも受け継がれていくいくことを願う。(G)