サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝戦、フランス代表チームの主将、ジダン選手が延長戦後半、イタリアのマテラッツィ選手に頭突きをくらわせ退場処分となった。その映像を見ると、びっくりするとともに、あの寡黙なジダン選手が、何故に切れてしまったのだろうかと驚かざるを得ない。
スポーツ選手として唾棄すべき暴力行為ではあるが、「母や姉を侮辱された。言葉の暴力は決して許されるべきものではない」と会見で述べたジダン選手に対し、同情の声も多数寄せられている。
ジダン選手はアルジェリア移民の子であり、イスラム教信者でもある。家族を侮辱する発言には人種差別的内容もあったと推測されているが、その点については語らなかった。
差別発言が事件につながった例は、在日社会でも見られる。1968年に静岡県の寸又峡温泉に人質を取って立てこもった金嬉老事件はその象徴で、事件の発端が静岡県警のある警察官から受けた、「この朝鮮人野郎云々」という暴言であったことはよく知られている。
金嬉老は、「(警官の発言を)命をかけても許せないと思った」と後日、裁判で証言している。差別はそれほど人の心を傷つける。
この金嬉老事件は日本で大きな論議を呼び起こし、これをきっかけに民族差別の問題を考えるようになったという日本や在日の青年が数多く現れた。その後に教育者となって、在日問題を生涯のテーマにしている人も出ている。
日本は在日コリアンを含み、外国籍者が200万人を突破する時代になった。今後も増え続けると見られているが、人権教育、多民族教育は追いついていないのが現状だ。心ない差別や暴言を受けて悩む外国籍者は、在日コリアン以外にも大勢いる。
多民族共生社会をどう実現するかは、日本社会にとっても大きな課題ではないだろうか。今回のジダン選手の一件から、学ぶべきことは多い。(L)