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2006/07/07

<鳳仙花>◆武寧王ゆかりの加唐島◆

 九州の玄界灘に加唐島(かからしま・佐賀県唐津市鎮西町)という島があるのをご存知だろうか。人口わずか250人(67世帯)、周囲約12㌔のこの小さな島が、いま韓国との交流に燃えている。実はこの加唐島、朝鮮半島の古代国家・百済の第25代武寧王(ムニョンワン・461年ごろ-523年、在位502年-523年)の生誕地とされているのである。

 日本書紀によると、百済21代蓋鹵(ケロ)王の弟、昆支(コンジ)が、日本に使節として派遣されたとき、蓋鹵王の王妃を妻としてもらい受けたが、王妃はすでに身ごもっていて、福岡に向かう途中に加唐島で子供を産んだ。その子は、島で生まれたことから斯麻(しま、武寧王の別名)と名づけられたという。

 これが縁で、加唐島と百済の古都・公州市との交流が始まり、公州で毎年秋に開かれる百済文化祭への参加や子どもたちのホームスティで親交を深めてきた。先週6月25日には、同島と公州市が共同で進めてきた武寧王生誕記念碑の除幕式が行われ、公州市から呉英姫市長ら約60人が参加、韓日交流の新たなシンボルの完成を祝った。記念碑は高さ3・4㍍、幅2・6㍍、重さ20㌧、公州の武寧王陵を模したドーム型で、韓国の彫刻家が設計し、総工費約七百万円は韓日双方が折半したという。韓日合作でこのような記念碑が誕生したのは珍しく、非常によろこばしい。

 武寧王は日本との関係が深く、天皇陛下が2001年の会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と述べられたことを思い出す。武寧王は日本に五経博士(儒学の詩・書・礼・易・春秋を講じる文官)を派遣したことでも知られ、その子・聖明王は日本に仏教を伝えた。古代から、韓国と日本は密接な関係にあり、交流を裏付ける史蹟も多い。最悪といわれる昨今の韓日関係をみるにつけ、いまこそ古代の原点に帰るべきときだと思う。(G)