韓日相互往来が500万人台に近づいているが、その礎を築いた一人が、慶尚南道と釜山市の観光協会で45年間活動した高クァンチョルさん(75)だ。
高さんが観光業に足を踏み入れたのは62年。61年に軍事クーデターで誕生した朴正熙政権が、外貨獲得のため観光産業に力を入れ、国内各地に観光協会設立を命令。62年に慶尚南道観光協会が設立されると、責任者に任命された。英語教師の経験があることで白羽の矢が立ったのである。
しかし、韓国戦争休戦から10年も経たない貧しい時代である。給料が出ず、観光案内所で観光客にタバコを売り、それを生活費にしてくれと言われたという。「教え子が税関職員をしている前でタバコを売った。観光協会の名刺を出したら、売春グループと勘違いした人もいた。あまりにも惨めで自殺さえ考えた」と、高さんは当時を振り返っているが、これが「観光」産業発足当時の現実だった。
64年に日本人の海外渡航が自由化され、65年には韓日国交正常化により日本人観光客が増加、観光産業は徐々に軌道に乗った。また当時、字が読めない在日のおばさんたちのため通関書類を代筆して感謝されたことは、今も忘れられないという。
その高さんが67年に手がけたのが、釜山市観光協会と福岡市観光協会の姉妹縁組だ。反日感情が強かった時代、それは大きな決断だったが、現在の姉妹都市交流の礎を築いた。両観光協会は現在、共同で外国の都市を訪れ観光誘致キャンペーンを行うほどで、まさに観光協会が韓日協力の先兵を果たしたといえる。
「親日派」と批判されたこともあるが、「観光に携わる人の仕事は縁結びだ。韓日間の不幸な敵対関係を解消する責務と使命が肩にかかっている」と信じて、観光業に取り組んできたという。高さんの半生は、最近出版された「韓国の観光カリスマ 高光・糧樟さェ」(北出明著、交通新聞社)にまとめられている。(L)