江戸時代、儒教や医学などを伝えた朝鮮通信使400周年の今年、各地で再現行列が行われている。来月3日には京都の四条河原町などを練り歩く。翌4日には大阪で恒例の四天王寺ワッソが華やかな衣装で1400年前の古代東アジア交流を再現する。時代を遡ると、このようにロマンを感じさせてくれ、改めて6年前の天皇陛下の発言が思い出される。
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」
この天皇の発言は、翌年に迫った韓日ワールドカップを機に両国間の友好親善へ向けて絆を深めるのに大変相応しいものだった。韓国マスコミも歓迎、ある有力紙は1㌻まるごと割いて報道した。ところが、日本のマスコミは、一般紙が韓国発で簡単に扱っただけだったので奇妙に思ったことを覚えている。
桓武天皇の母親は「高野新笠(たかののにいがさ)」である。旧姓は和史(やまとのふびと)姓で、百済系の渡来人の末裔とされている。光仁天皇夫人で、789年に崩御すると皇太后を追贈された。続日本紀には「皇太后の先(先祖)は百済武寧王の子淳陀太子より出ず」と記されており、桓武天皇自ら「百済王は朕の外戚である」と語ったと記されている。
それだけではない。その後の嵯峨天皇、仁明天皇の妃は渡来系の娘たちだった。さまざまな文献から見て、当時の百済と日本が濃密な関係にあったのは間違いない。2万人以上の百済人が日本に来て、政治、経済、文化、宗教、芸能などあらゆる分野に影響を与えたという。東大寺建造はその象徴だ。知人の歴史研究家は、「日本が韓半島と無関係で発展してきたことでないことは、古代史を少しでも勉強すれば分かることだ」と話した。高野新笠の墳墓は、京都市西京区に「高野新笠大枝陵」としてあるが、百済との由来が分かるのだろうか。
韓日は古代から深いつながりがあることがはっきりしている。相手の歴史を知ることは自らを知ることでもあり、お互いに認め合うことにつながるのではないか。(S)