茶山・チョンヤギョン(1762-1836年)が脚光を浴びている。先日、東北大学で、韓国の茶山学術文化財団と同大の共催で東アジア思想空間を探るシンポ「丁茶山の時代の韓国・日本学術史」が開かれ、双方30余人の研究者が報告・討論した。
シンポ計画者の片岡龍・同大準教授は、「実は我々の目から見れば、18世紀の江戸時代は訳の分からない時代であり、腑に落ちる研究も少ない。それで同時代の韓国をみると、丁茶山がいた。何か参考になるものがあるのでは」と趣旨を説明した。近年、韓日間では様々な交流がなされているが、200年前の韓日学術交流に光をあてたのは注目すべきことである。
丁茶山は、「牧民心書」「経世遺表」などの政治書から法律、経済、医学、教育、歴史に至る500冊を超える膨大な書を書き上げた、朝鮮時代後期の実学を集大成した思想家である。子供の頃から勉学に励み、27歳で科挙に合格、役人時代は国王の信任も厚かったが、天主教(カトリック)弾圧事件で全羅道康津に流された。その流配18年間で書物の多くを書き上げた。
その時、「私の勉強は1日も中断したことがない。逆境の中にあって初めて書物を著す資格ができることを知った」と語ったという。精進一筋の人であったから、あらゆることに通じていたのだろう。正祖王が世界遺産にも登録されている水原城築造に取りかかった際、茶山は滑車やテコの原理を利用した起重機をつくり、工期を大幅に短縮したこともある。
実学は、日本で言えば「読み、書き、そろばん」に当たる。孔子や孟子の儒学に比べ、より実際的な学問だが、200年前の韓日実学交流についても、より深く研究することで見えてくるものがありそうだ。また、韓流、日流ブームに触発され、隣国の歴史を学ぼうという機運が双方にある。丁茶山のようなその時代の偉人に学ぶことで隣国理解は一層深まるのではないか。(S)