17日は敬老の日。在日のお年寄りの多くは苦難の人生を歩んできたが、その一人に京都在住の玄順任さん(81)がいる。
玄さんは1926年、日本植民地下の忠清南道に生まれた。日本に土地を奪われた父は、玄さんが1歳のとき家族で京都に渡った。渡日から数年後に母が亡くなり、玄さんは家事と幼い弟妹のめんどうに明け暮れた。近所から古い教科書をもらい受け、家事の合間にひらがなを勉強。また家計を助けるため、10歳で西陣織の仕事を始めた。
日本の子どもたちから浴びせられた「チョーセン、ナップン(朝鮮は悪い)」という言葉が、今も忘れられないと言うほど、民族差別は激しかった。戦後に結婚、西陣織の仕事を続けながら京都で暮らし、現在に至る。
50歳のとき、年金申請のため役所に行ったが国籍が違うと門前払いされた。その後、法改正がなされたが、玄さんたちの年代は除外されたままになっている。
玄さんが、「外国籍を理由に無年金状態に置かれているのは違憲であり、長い間精神的苦痛を受けた」として、京都在住の同胞女性4人とともに、日本政府に対し訴訟を起こしたのは2004年12月のこと。これに対して国側は、別の年金訴訟でも使われた帰属国家責任論(在日外国人の社会保障の責任は、その者らの本国にある)を持ち出して反論した。
「日本に定住し、働き、日本人と同じように納税してきた。そもそも在日の歴史的経緯がある」として、裁判闘争を行ってきたが、今年2月、京都地裁で敗訴した。「帰属国家論」判決だった。玄さんらは大阪高裁に控訴し、現在口頭弁論が行われている。
「機織りはきついが、生きるため今も続けている。真面目に働き、税金を納めてきたのに、日本はいつまで私らを苦しめるのか。不公平や」と、玄さんは意見陳述で述べている。悲痛な訴えに裁判所は耳を傾けてほしい。(L)