在日韓国人で野球評論家の張本勲(張勲)さんは、広島で5歳の時に被爆した。
「ピカッの光とともに激しい振動を受けた。気が付いたら潰れた家の中で母親が覆いかぶさって守ってくれた。大好きだった6歳上の姉は、無残な姿で苦しみながら息を引き取った。(私は)今も被爆の後遺症におびえている」
昨年8月15日、テレビ朝日の「徹子の部屋」に出演したときの張本さんの言葉だ。戦後60年以上経ち、戦争の記憶が薄れていることに危機意識を感じて自分の経験を伝えることにしたと、涙ながらに語っていたのが印象的だった。
風化したといわれる戦争、そして原爆体験だが、今年6月「(原爆投下は)しょうがない」と久間章生・前防衛大臣が発言。被爆者をはじめ市民の反発を受け辞任に追い込まれたことで、皮肉なことに再び社会の注目が集まった。6日の広島、9日の長崎の平和祈念式典でも久間発言批判の文言が盛り込まれ、核廃絶と被爆者救済、そして平和への決意を新たにするという。
この原爆被害を再認識するときに忘れてはならないのが、韓国人被爆者の問題である。広島・長崎の被爆者総数は約69万人だが、そのうち約7万人が韓国人被爆者だった。実に1割にあたる数字である。7万人のうち爆死者は4万人、生存者3万人のうち2万3000人が帰国し、7000人が日本に残った。張本さんもその一人である。
韓国に戻った被爆者は専門的な治療施設も無く、社会の偏見も残り、貧困に苦しんだ。さらに被爆者2世にまで被害が及んだのである。3年前に初の実態調査が行われたが、それによると被爆者2世は現在7000人から1万人近くおり、そのうち30%近くが原爆後遺症を患い、治療への支援もなかったという。
「私たちのような犠牲者が出ない核のない社会を」と彼らは訴える。こういった被爆者の核廃絶を求める声に、耳を傾け、戦争のない平和な暮らしを守り続けたい。(L)